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第二展示室 藤村建築の名工 | |
「松木輝殷建築指図展」 |
まつきてるしげけんちくさしずてん |
[1.大工関連資料 | 2.建築資料と文化財指定 | 3.廃仏毀釈と洋風建築 | 4.方眼図面 | 5.大工図面] [6.身延山久遠寺三門正面図 | 7.設計家としての松木輝殷 | 8.絵様とデザイン | 9.土木関係の仕事] [10.松木家資料 | 11.父運四郎の板絵 | 12.輝殷を取り巻く人々 | 13.洋風建築への着手 | 14.石川家との繋がり] |
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さらに彫刻(ちょうこく)家としての輝殷は、さまざまな彫刻を手がけます。 今回の資料の中から大量に見つかったのが、その彫刻のデザイン画です。 木に施(ほどこ)す彫刻のデザインを、ありとあらゆるものを輝殷は考えています。 この現物がそこにあります<図34, 35>。 色がついています。 それは実際に作るデザインではありません。 このあたりのものが、本来の建築に施される渦(うず)巻き彫刻です。 ところが輝殷はそれをどんどん自分の頭の中で発展させて行って、一つの渦が植物のように育って行き、最終的には波になり雲になり、そこからさらに花が咲(さ)いて、牡丹(ぼたん)の花が咲き菊(きく)の花が咲き、ここにくると渦そのものが大きな幹に変わり、梅に花の幹に変わって、竹に変わってしまう。 それから蓮(はす)の花に変わり、さらに松に変わってしまう。 |
<図34, 35> 松竹梅をモチーフにしたデザイン |
これは初めから、実際に施工(せこう)するものではありません。 輝殷の頭の中で、どういうふうに渦を考えていたのか、これをどう発展させることができるかを、ものすごく考えていたということがこれでわかります。 | |
<図36, 37> デザインを描き留めた巻物 |
重要文化財の建築を手がけている大工さんが、これを見た瞬間(しゅんかん)に言ったのですが、松木輝殷という人は尋常(じんじょう)な人ではない、普通の大工ではこんなことは思いつかない、おそらくこれを現在の建築の中に入れてもものすごく斬新(ざんしん)なものになる、と。 これをすでに明治に考えていたのです。 こういう4巻の巻物が残っています<図36, 37>。 この図面にしても、さらに |
実際にうちの町(勝沼町)の近所で調べてみると、輝殷が手がけた彫刻がすぐ見つかります<図38, 39>。 ただの渦巻きだと思っていたところを、菊の花が咲いているものが実際にあります。 ですから輝殷はこれらを実現しようとして考えて、菊の花を描いた彫刻も出てきます。 獅子、それから鶴、 |
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<図38> 東漸院 彫刻 |
<図39> 景徳院 彫刻 |