5. 大工図面 |
この方眼の入った図面を基本として、改めて社寺仏閣(ぶっかく)建築を始めた輝殷が、いちばん最初に手がけたものがこれです<図23>。 都留(つる)郡川茂(かわも)の浄泉寺(じょうせんじ)というお寺が、輝殷が明治になってから最初に手がける社寺関係の建築です。 これはまだ現物を確認しに行っていませんが、現存するそうです。 |
<図23> 浄泉寺 平面図 |
<図24> 浄泉寺 本堂
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さらに、こういう図面を書いています<図24>。 方眼が入っているのがわかりますでしょうか。 社寺仏閣建築にも、初期の段階では図面を描(えが)く時に朱引(しゅびき)方眼を使っているのです。 近くで見た方が、どこまで微細(びさい)に描いているかがよくわかると思います。 |
ただその描き方は、ここが正面です。 そしてここは、妻(つま)の部分の正面を見た図です。 ここに載(の)っているのが、向拝(こうはい)といわれる玄関(げんかん)の部分の横の図面です。 さらにここには小屋組(こやぐみ)の骨組みの断面図があります。 ですからこの1枚の図面の中に、正面図、側面図、構造図が全部入っているわけです。 これが江戸(えど)時代からの、大工の図面の描き方です。 |
<図25> 景徳院 本堂 |
これも同じです<図25>。 ここは正面ですが、この部分はこの妻の部分の側面図が入っています。 ここの部分の側面図がここに描かれています。 こういう図を1枚の中に表わす、それによって立体感を頭の中で構成できるように作るのが、大工図面です。 |