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第二展示室 藤村建築の名工
「松木輝殷建築指図展」

まつきてるしげけんちくさしずてん
[1.大工関連資料 | 2.建築資料と文化財指定 | 3.廃仏毀釈と洋風建築 | 4.方眼図面 | 5.大工図面]
[6.身延山久遠寺三門正面図 | 7.設計家としての松木輝殷 | 8.絵様とデザイン | 9.土木関係の仕事]
[10.松木家資料 | 11.父運四郎の板絵 | 12.輝殷を取り巻く人々 | 13.洋風建築への着手 | 14.石川家との繋がり]

6. 身延山久遠寺三門正面図
円実寺
<図26> ?語彙集円実寺
本学寺
<図27> ?語彙集本学寺
稲積神社 神楽殿
<図28> ?語彙集稲積神社 神楽殿
不詳
<図29> 不詳
産神本社
<図30> ?語彙集産神本社
遠渡神社
<図31> ?語彙集遠渡神社

 あらかじめ、「みのぶまんじゅう」を持ってきて欲しいと、袋(ふくろ)だけでいいから、とお願いしていたのですが……わかりますでしょうか。
身延山久遠寺三門 正面図
<図32> ?語彙集身延山久遠寺三門 正面図

 棟梁(とうりょう)は池上亀之丈(いけがみ・かめのじょう)です。 ところが、池上はこの設計図面を描(えが)きましたが、自分の図面では満足いかなくて、輝殷に描き直してもらいました<図32>。 今見せたのはこの部分です、この部分がみのぶまんじゅうの袋の表面に……この彫刻は輝殷が手がけています。 建物総体は池上亀之丈がやっています。
 亀之丈は、彫刻(ちょうこく)については輝殷にもう1回お願いしていますが、どうして輝殷に頼(たの)んだか、これでわかると思います。 これが池上が描いた図面です。 その依頼(いらい)を請け、が最初に描き直した図面がこれです。 これには判子(はんこ)は押されていません。 さらにこれをもう1回修正した図面があれです。 輝殷はこれに判子を押しています。
 実際にはこれは最後の図面ではありません。 輝殷の手元に残っているのは、まだ下描きの段階です。 ですから、このあと描いた図面がこれでOKということで提出され、池上の手もとに届いて、池上はこの図面を何に使ったのかというとおそらく、身延山(みのぶさん)の信者(しんじゃ)に配布され、三門(さんもん)を復興(ふっこう)する資金を集めるために使われたと思います。 どういうものができるかということを、この1枚の図面からみんなが納得できる、そういう内容を持っていたために、この図面を使って大勢の信者の方に呼びかけて、復興資金が集められたのだと思います。 身延山久遠寺三門正面図 拡大コピー
<図33> 身延山久遠寺三門正面図 拡大コピー
 さらにこれはこの部分の拡大(かくだい)図ですが、ここに彫刻のデザインを入れています。おそらくもっと最良な図面が描き出されました。 微細(びさい)ないろいろな部分に関する、これは彫刻設計図だと思いますけれど、輝殷が手がけることになった彫刻のデザイン画だと思います。 実際には、これにさらに検討が加えられたものが彫刻されていると思います。 ですから、ここに残されている資料というのは最終段階の一歩手前の、検討段階の資料だと思ってください。

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