あらかじめ、「みのぶまんじゅう」を持ってきて欲しいと、袋(ふくろ)だけでいいから、とお願いしていたのですが……わかりますでしょうか。 |
<図32> 身延山久遠寺三門 正面図 |
棟梁(とうりょう)は池上亀之丈(いけがみ・かめのじょう)です。 ところが、池上はこの設計図面を描(えが)きましたが、自分の図面では満足いかなくて、輝殷に描き直してもらいました<図32>。 今見せたのはこの部分です、この部分がみのぶまんじゅうの袋の表面に……この彫刻は輝殷が手がけています。 建物総体は池上亀之丈がやっています。 |
亀之丈は、彫刻(ちょうこく)については輝殷にもう1回お願いしていますが、どうして輝殷に頼(たの)んだか、これでわかると思います。 これが池上が描いた図面です。 その依頼(いらい)を請け、が最初に描き直した図面がこれです。 これには判子(はんこ)は押されていません。 さらにこれをもう1回修正した図面があれです。 輝殷はこれに判子を押しています。 |
実際にはこれは最後の図面ではありません。 輝殷の手元に残っているのは、まだ下描きの段階です。 ですから、このあと描いた図面がこれでOKということで提出され、池上の手もとに届いて、池上はこの図面を何に使ったのかというとおそらく、身延山(みのぶさん)の信者(しんじゃ)に配布され、三門(さんもん)を復興(ふっこう)する資金を集めるために使われたと思います。 どういうものができるかということを、この1枚の図面からみんなが納得できる、そういう内容を持っていたために、この図面を使って大勢の信者の方に呼びかけて、復興資金が集められたのだと思います。 |
<図33> 身延山久遠寺三門正面図 拡大コピー |
さらにこれはこの部分の拡大(かくだい)図ですが、ここに彫刻のデザインを入れています。おそらくもっと最良な図面が描き出されました。 微細(びさい)ないろいろな部分に関する、これは彫刻設計図だと思いますけれど、輝殷が手がけることになった彫刻のデザイン画だと思います。 実際には、これにさらに検討が加えられたものが彫刻されていると思います。 ですから、ここに残されている資料というのは最終段階の一歩手前の、検討段階の資料だと思ってください。 |