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木喰上人入門

もくじきしょうにんにゅうもん
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お弟子さんたち | メジャーデビュー~木喰仏再発見のおはなし ]

■お弟子さんたち

 木喰さんの日誌から、何人かの弟子がいたことがわかっています。 そのうち、名前がはっきりわかっているのが白道(びゃくどう)と丹海(たんかい)です。
 丹海は、佐渡(さど)の両尾(もろお)の出身で、木喰上人が佐渡島(さどがしま)に4年間逗留(とうりゅう)していたときの弟子です。 木喰上人が佐渡島を去るときに、あとのことを任せられたこと、文化3(1806)年に佐渡で亡(な)くなったこと、がわかっています。
木喰白道加持水井
「木食白道加持水井」 寛政9(1797)年
 白道は、塩山上萩原(甲州市)の生まれで、旅をしている間に木喰上人と出会い、木食戒(もくじきかい)を授かって弟子となりました。 奥羽(おうう=東北地方)~北海道~関東を木喰上人とともに旅し、のちに大月市鳥沢の山中に住んでいました。 塩山下小田原(甲州市)福蔵院の百体の観音像など、生地である塩山や大月を中心に木食白道の造った仏像が遺されています。 また、水不足に苦しむ人々のために掘(ほ)った井戸(いど)は、今でも上野原市にあります。
 白道は木喰上人から仏像造りを学びました。 白道の彫る仏像は、木喰さんのものとはまた別の味わいで、たいへん個性的です。 木喰さんのものと同じように部分部分はみな丸みを帯びていますが、全体としては角ばっていて、ずっしり重たいイメージです。 いわゆる木喰さんらしい、晩年(ばんねん)のものと比べると、師(し)と弟子の作品にはかなり隔(へだ)たりがあるようにも感じられますが、ふたりがともに旅をした時期の、特に木喰さんが北海道で初めて造った仏像をみれば、師から弟子へと受け継がれた流れが窺(うかが)えることでしょう。

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