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木喰上人入門

もくじきしょうにんにゅうもん
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■どんな感じの人?

 木喰上人は1000体を越える仏像を遺(のこ)しましたが、自分の姿を刻んだ立像、坐像、倚像(いぞう)なども何体も造っています。 倚像というのは、台座に腰かけた姿勢の像です。 木喰さんの仏像の多くが微笑みをたたえているように、木喰さんの自刻像もみなニッコリ(というかニンマリ)笑っていて、おおらかな印象です。 これらの自刻像からうかがい知ることができる上人の容貌(ようぼう)は、こんな感じです。
 髪の毛のない頭部は鉢(はち)ががっしりしていて、時には額(ひたい)に深いしわが数本、耳はたっぷり大きく存在感があります。 いちばんの特徴ともいえる顎(あご)ひげは長く豊かで、まるで墨(すみ)をたっぷり含んだ太い筆のような逆三角形で、唇(くちびる)の真下からすっかり顎とのど元を覆(おお)い尽(つ)くしています。
 弓なりになった眉毛(まゆげ)は太く、細められた目も同じように弓なり。 頬(ほほ)はぷっくりと、球状に盛(も)り上がっていて、この頬の丸みが目と眉をぐぐっと上に押し上げているようにも見えます。 鼻もまたかさが大きく、まん丸の頬よりさらに前に突き出しています。 ちょっと突き出し気味の口も、にこにこ笑っています。
清源寺に現われたときの木喰上人は…
…往年文化三年丙寅(ひのえとら)の冬十月、図(はか)らずも木食行者上人来入せり。 嘗(かつ)て行者の徳名を聴く、則(すなわ)ち東海道甲国の産にて日向州国分寺の前住大上人なり。 容貌を視るに顔色憔悴(しょうすい)して鬚髪雪の如く白し、乱毛螺(にな)の如く垂る、身の長(たけ)六尺なり、壌(つち)色の衣を著、?語彙集(しゃく)を持つて来り立つ、異形(いぎょう)の物色謂(い)ひつ可(べ)からず、実に僧に似て僧に非(あら)ず、俗に似て俗に非ず、変化(へんげ)の人かと思ひ狂者の惑ふかと疑ふ。 先師見て問ふて曰(いわ)く子は何人(なんぴと)ぞや。 行者曰く、諾、某(それがし)は木食五行菩薩なり…

柳宗悦「丹波に於ける木喰佛」より
清源寺十三世佛海禅師著「十六羅漢由来記」
(原文は漢文、柳が和文化したもの)
*さらに一部の漢字を現代語表記にしました。
 いかにも好好爺(こうこうや)といった印象で、全体的に丸々とした顔つきからすると、背が低めで丸々コロコロ、小太りの親しみやすいおじいさんの姿を想像する人も多いのではないかと思います。 ところが、木喰さんが89歳で訪れた丹波(たんば=京都府)清源寺(せいげんじ)に遺された文書(もんじょ)の記述によれば、木喰さんはの身の丈(たけ)は実に6尺(しゃく)!
 尺にもいろいろ種類があるのですが、だいたい1尺=約30cm、6尺は180cmと考えてよいでしょう。 今の時代でも充分背が高いですね。 当時はずば抜けた長身で目立ったことでしょう。 木食行をずっと続けていたといわれていますからスリムだったに違いなく、でも顔つきは丸々? もっとも、清源寺の文書には、木喰さんの自刻像とはちょっと違う感じの姿が記述されているようです。 いろいろ想像してみてください。 服装は灰色の?語彙集衣(ねずみごろも)ですよ。

 

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