■とっても長寿
今の日本は世界一の長寿(ちょうじゅ)国で、80歳90歳を過ぎても元気な方々がたくさんいて、それは特別珍しいことではありませんよね。 でも、今はこんな日本も、さすがに木喰上人の時代には、誰もが70歳80歳という長生きができたわけではありませんでした。 50歳を無事に越えることができれば、充分に長生きと言えたのではないかと思います。
数え年のこと |
数え年(かぞえどし)というのは、現在ふつうに使われている満年齢(まんねんれい)とは別の年齢の数え方で、戦前まではよく使われていました。
満年齢では生まれた瞬間は0歳、次の誕生日がきたときに1歳ですね。 ところが数えでは生まれたらすぐ1歳と数え、1月1日がくるたびに1歳ずつ増えていきます。 誕生日に関係なく、年が明けるとみんながいっせいに歳をとるわけです。
木喰上人が生まれたのは享保(きょうほう)3年ですから、今の数え方だと1歳になるのは享保4年の誕生日がきたときですが、数え年では享保4年の1月1日でもう2歳です。 つまり、年が明けて誕生日がくるまでは「満年齢+2歳」、誕生日以後は「満年齢+1歳」ということになります。
このサイトでは、木喰上人の年齢はすべて、数え年で表記しています。 木喰上人は数えの93歳で亡くなったと考えられますが、満年齢でいえば91歳か92歳。 それでも長寿であったことには間違いありません。
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ところが木喰上人という人は、50代も半ばになってから日本全国巡礼(じゅんれい)の旅に出ます。 60歳を過ぎてから仏像などの彫刻を造り始めます。 日向(ひゅうが=宮崎県)のように同じ場所に長くとどまった期間もありましたが、大部分の年月は、日本のあちらこちらを歩いて歩いて歩き回って過ごしています。 北は北海道の南部から、南は九州まで。 沖縄(おきなわ)県以外のすべての都道府県に足を踏み入れているのです。
ところが木喰さんの遺した記録の中には、病気になったという記述が見つかりません。 「五穀(ごこく)も火を通したものも食べない」という木食行をずっと続けていたようですが、お酒が好きだったともいわれていますし、温泉を好み、草津(くさつ)温泉(群馬県)では20日間の湯治(とうじ)をしています。 こんな一面を知ると、木喰上人がずいぶん身近に感じられますね。 終わりのない長く厳しい修行と、ゆったりくつろぐ短い時間と、じょうずに切り分けていたのでしょうか。
廻国(かいこく)の旅のほとんどはひとり旅で、歩いた総距離は2万kmともいわれます。 数え年の93歳まで生きたというのが通説です。 遺した彫刻の数は1000体以上です。 和歌も600首以上詠(よ)みました。 いろいろな面で、スペシャルな人だったようですね。 |