■生き方上手?
木喰さんが仏像を造り始めたのは廻国(かいこく)を始めて数年、北海道の地でのことと考えられています。 詳しいことはわからないのですが、誰に教わるともなく、木喰戒(もくじきかい)に定められた行(ぎょう)のひとつとして、ごく自然に手法を身につけて行ったのではないでしょうか(木喰戒については「木喰さんの名前」のページを見てください)。
木喰さんより75年ほど先に生まれた円空(えんくう)というお坊さんがいて、やはり各地を旅しながら多くの仏像を造りました。 北海道にも仏像を遺しています。 北海道で目にした円空仏から、木喰さんは何かを感じ取ったのかも知れません。
木喰さんの造った仏像の大部分は、全体をひとつの木片から掘(ほ)り出す、本来の意味での一木造(いちぼくづくり)です。 使った木の種類は桜、いちょう、楠(くすのき)、ミズナラ、桧(ひのき)、樫(かし)、杉などさまざまです。 その土地その土地で手に入りやすい材料を利用したのでしょう。 長く留(とど)まった土地だけでなく、わずかな滞在の土地においても制作をしています。 丸太にしてから乾燥(かんそう)させた、本来なら彫刻に適した状態の材料が手に入らないことが多かったでしょうが、木喰さんにとっては重要なことではなかったかも知れません。
仏像の大きさもさまざまで、小さなものは高さが10cmに満たないもの、大きなものは3mを越えるものもあります。 現存が確認されているもので見てみると、高さ50~80cmのものが、全体の半分以上を占めているようです。
たいへん長生きした木喰さんですが、実際に仏像を彫るようになったのは61歳ごろからですから、制作期間は93歳で亡くなるまでの32年間ほどです。 32年は1万1680日、正確な数は特定できませんが1000体以上の仏像を造ったといわれているので、1000体としても、単純計算で1体あたりにかかった日にちは11.68日です。 しかも、全国を歩いて旅しながらのことです。 行く先々の地で病人に加持(かじ)を行なうこともしていたようですし、書軸(しょじく)などもたくさん書き遺しています。 鉄人のような身体をもっていた木喰さんは、時間の使い方や作業の進め方の達人でもあったようです。 |