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木喰上人の足跡

もくじきしょうにんのそくせき
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■廻国第3期 天明5(1785)年9月・68歳〜寛政(1800)12年10月・83歳

天明5. 9 一蓮寺・善光寺(甲府市)
天明6. 2 韮崎…塩尻
5 土岐…一宮…下呂…高山
7 立山…富山…石動山…金沢
8 永平寺…敦賀…尾鷲…新宮
天明7. 1 中津川…和歌山…高野山
2 大阪…京都…比叡山…奈良…吉野
5 津山…岡山…多度津…石鎚山
6 今治…松山…宇和島
7 金剛福寺…高知…金剛頂寺
9 平等寺…鳴門…淡路島…高松
天明8. 3 伊予…関…大分…延岡…西都
寛政7. 4 鹿児島国分寺…川内
6 八代…熊本…長崎
寛政9. 4 西都…延岡…別府…下関
7 美祢…三隅…田万川…三隅
寛政10. 5 出雲大社…倉吉…野田川
8 倉吉…津山…岩国
寛政11. 4 遠崎…三津浜…松山…高松
8 徳島…高知…宇和島…松山
10 大阪…四日市
11 岡崎…新城
寛政12. 2 引佐…静岡
9 清水…南部町万沢…久遠寺…身延町帯金…丸畑
廻国第3期の地図
木喰さん 第3期は15年間、木喰さんの廻国のなかでもいちばん長く、訪(おとず)れた地も数多くありました。 なかでも日向(ひゅうが=宮崎県)の国分寺(こくぶんじ=西都市)滞在は10年にわたり、木喰さんの廻国のうちで最も長くとどまることになりました。
 国分寺には、それまで訪れたほかのお寺のようにお参りが目的でしたが、縁(えん)があり住職(じゅうしょく)を務(つと)めることになったのでした。 ところが、3年ほどのちの寛政3(1791)年、国分寺は火事で全焼してしまいます。 お堂も、本尊(ほんぞん)の五智如来(ごちにょらい)も、全部焼けてしまいました。
 それからの木喰さんは、お寺の再建に力を注ぎます。 ?語彙集財(じょうざい)のための?語彙集鉢(たくはつ)に歩き、お堂の再建が始まると、その傍(かたわ)らで五智如来像を造りました。 国分寺は、今ではその跡(あと)を残すだけですが、木喰さんの造った五智如来像は、当地の木喰五智館に保存されています。
 この五智如来像は、木喰仏のなかでも大きなもので、いずれも3メートル前後の丈(たけ)があります。 この大きな像を刻むに当たり、木喰さんは、お寺の近くの池に浮かべた筏(いかだ)に乗って、木材の方も水に浮かべて作業したといわれています。 こうすることにより、かさがあって重たい木を容易(ようい)に動かせたという話です。
 また、ほとんどの作品を?語彙集木造(いちぼくづくり)という、ひとつの木の塊(かたまり)から彫り出すやり方をしていた木喰さんですが、さすがにこれらの巨大な像については、複数の木材を組み合わせる寄木造(よせぎづくり)をしています。
木喰さん 第3期の廻国では、?語彙集国八十八箇所霊場(れいじょう)巡(めぐ)りを2度しています。 1度めは10ヶ月をかけ、一般的な?語彙集遍路(へんろ)の順路とは逆に回りました。 2度めは日向国分寺での長期滞在のあと、山陰(さんいん)地方を一周してから再び四国に入り、このときは一般的な順路を5ヶ月間で回っています。
 四国のお遍路は、木喰さんにとって、たいへん重要な意味を持っていたと思われます。 もちろん、1度めを逆順にお遍路したことにも、大切な意味があったことでしょう。 2度めのお遍路を終え廻国を終えて丸畑へ戻(もど)ったときに、廻国が成就(じょうじゅ)したと考え、故郷の人々の願いに応えて四国堂を建てたのです。

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