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木喰上人の足跡

もくじきしょうにんのそくせき
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■廻国第4期 享和2(1802)年3月・85歳~文化7(1810)年6月・93歳

廻国第4期の地図
享和2. 3 丸畑…岡谷
11 富岡
享和3. 1 小千谷…長岡…柏崎
文化3 5 岡谷
10 清源寺(京都府南丹市)
文化4. 3 猪名川
7 京都…岡谷
文化5. 3 善光寺(甲府市)
4 教安寺(甲府市)
文化7. 6 入定(にゅうじょう)?
木喰さん 文化3年10月に京都の清源寺(せいげんじ)にたどり着いた木喰さんは、そこで?語彙集六羅漢(じゅうろくらかん)の像を造ります。 そして12月8日、?語彙集尊(ほんぞん)釈迦如来(しゃかにょらい)像を彫り上げた日の夜、木喰さんは?語彙集夢(れいむ)を見、お告げを受けました。 そのお告げでは600歳の長寿を与えられ、名を改めるように、といわれました。 このため木喰さんは、それまで使っていた「木喰五行菩薩(もくじきごぎょうぼさつ)」から「神通光明明満仙人(じんつうこうみょうみょうまんせんにん)」に名前をかえたのでした。
 そのときのようすが、清源寺に伝わる『十六羅漢由来記(ゆらいき)』に記されています。
木喰さん 木喰さんの最後の彫刻と考えられているものは、文化5(1808)年、甲府の?語彙集安寺(きょうあんじ)で3日間で刻んだ?語彙集観音です。 その2年後にお寺は火事で焼けてしまうのですが、七観音は無事でした。 けれども残念なことに、昭和20年7月の?語彙集府空襲(くうしゅう)で、お寺とともに観音像もすべて焼けてしまいました。 今となっては、柳宗悦(やなぎ・むねよし)が七観音を目にして書き残した文章から、想像することしかできません。
木喰さん 甲府教安寺を発ったのちの木喰さんは、どこへ向かったのでしょうか。 いつ亡(な)くなったのでしょうか。 亡くなった地については、いくつかの説がありますが、どれも決定的な裏づけはなく、仮説(かせつ)の域(いき)を出ていないようです。
 のちに、木喰さんの甥(おい)にあたる人が、木喰さんの生まれた家に?語彙集箱(おいばこ)を届けたそうです。 木喰さんが廻国の折に背負(せお)って歩いていたものです。 そのなかに紙?語彙集牌(かみいはい)があり、「円寂木喰五行明満仙人品位 文化七庚午年六月初五日」と書かれていました。 しかし、亡くなった場所などについては、甥は何も語らなかったそうです。 いっさい口にするな、という木喰さんの遺言(ゆいごん)があったから、ということです。
(「木喰上人の足跡」終わり)

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