木喰さんが初めて仏像を彫ったのは、北海道の地であったと考えられてきました。 ところが最近の調査により、北海道に渡る前に滞在した青森で、一体の仏像を作っていたことが確かめられました。
木喰さんの作として東北地方で初めて発見されたその像は、上北郡(かみきたぐん)六戸町(ろくのへまち)の海傳寺(かいでんじ)にある釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)です。 赤外線撮影(さつえい)によって背面(はいめん)の墨書(ぼくしょ)や花押(かおう)が判読され、作風などからしても、木喰さんの作である可能性がたいへん高いということです。 |
木喰さんは、恐山(おそれざん)などを参拝(さんぱい)したのちに北海道へ渡りました。 北海道に遺る木喰さんの彫刻は、そのほとんどが地蔵菩薩(じぞうぼさつ)と子安観音(こやすかんのん)です。 この時代の作品は、身体の線をみても、表情をみても、一般的な木喰仏とはかなり異なる印象です。 まだぎこちなさ、硬(かた)さがありますが、素朴(そぼく)で力強く、こののち生涯(しょうがい)に成すこととなる大きな仕事を予感させる、秘められたパワーがあります。
木喰さんは北海道におよそ2年間滞在しましたが、滞在を終えて本州に船で渡ったときに同行(どうこう)の人がいたと書き残しています。 それが弟子(でし)の白道(びゃくどう)だったのではないかと考えられています。 |
北海道を発った3ヵ月後には栃窪(とちくぼ=栃木県鹿沼市)に到着(とうちゃく)し、5ヶ月間滞在しました。 この地の薬師堂(やくしどう)のために本尊(ほんぞん)の薬師如来(やくしにょらい)、日光(にっこう)・月光(がっこう)菩薩(ぼさつ)、十二神将(じゅうにじんしょう)の像を彫りました。 北海道での作品とはまた違う雰囲気(ふんいき)で、コンパクトにまとまっていながらも、木喰仏の特徴でもあるところの、どこまでものびやかに広がっていくような持ち味があります。 |