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木喰上人の足跡

もくじきしょうにんのそくせき
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■廻国第2期 安永6(1777)年8月・60歳~天明5(1785)年9月・68歳
廻国第2期の地図

安永6. 11 いわき
安永7. 2 相馬
3 仙台…松島…金華山
4 平泉…遠野…三戸…恐山
7 恵山…熊石…虻田…江差
安永9. 5 松前…むつ
6 大館…浄法寺…盛岡
7 遠野…仙台…郡山…二本松
8 日光…栃窪
安永10. 2 佐野…江戸…高崎
天明元 5 碓氷峠…諏訪…川中島
5 上越…出雲崎…小木…相川
天明5. 5 水津…新潟
6 妙高山…草津
7 善光寺…安中…高崎
9 八王子…鳥沢…大善寺(甲州市勝沼町)・善光寺(甲府市)・表門神社(市川三郷町)…丸畑
木喰さん木喰さんが初めて仏像を彫ったのは、北海道の地であったと考えられてきました。 ところが最近の調査により、北海道に渡る前に滞在した青森で、一体の仏像を作っていたことが確かめられました。
 木喰さんの作として東北地方で初めて発見されたその像は、上北郡(かみきたぐん)六戸町(ろくのへまち)の海傳寺(かいでんじ)にある釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)です。 赤外線撮影(さつえい)によって背面(はいめん)の墨書(ぼくしょ)や花押(かおう)が判読され、作風などからしても、木喰さんの作である可能性がたいへん高いということです。
木喰さん木喰さんは、恐山(おそれざん)などを参拝(さんぱい)したのちに北海道へ渡りました。 北海道に遺る木喰さんの彫刻は、そのほとんどが地蔵菩薩(じぞうぼさつ)と?語彙集安観音(こやすかんのん)です。 この時代の作品は、身体の線をみても、表情をみても、一般的な木喰仏とはかなり異なる印象です。 まだぎこちなさ、硬(かた)さがありますが、素朴(そぼく)で力強く、こののち生涯(しょうがい)に成すこととなる大きな仕事を予感させる、秘められたパワーがあります。
 木喰さんは北海道におよそ2年間滞在しましたが、滞在を終えて本州に船で渡ったときに同行(どうこう)の人がいたと書き残しています。 それが弟子(でし)の白道(びゃくどう)だったのではないかと考えられています。
木喰さん 北海道を発った3ヵ月後には栃窪(とちくぼ=栃木県鹿沼市)に到着(とうちゃく)し、5ヶ月間滞在しました。 この地の薬師堂(やくしどう)のために?語彙集尊(ほんぞん)の?語彙集師如来(やくしにょらい)、日光(にっこう)・月光(がっこう)菩薩(ぼさつ)、?語彙集二神将(じゅうにじんしょう)の像を彫りました。 北海道での作品とはまた違う雰囲気(ふんいき)で、コンパクトにまとまっていながらも、木喰仏の特徴でもあるところの、どこまでものびやかに広がっていくような持ち味があります。

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