みのぶみちの始まりについては、はっきりしたことはわかっていませんが、八日市場(ようかいちば=旧中富町)の大聖寺(だいしょうじ)に次のような伝承があります。 大聖寺は長治(ちょうじ)2年(1105)、新羅三郎義光(しんら・さぶろうよしみつ)が開山(かいざん)したといわれるお寺です。
承安(しょうあん)元年(1171)、義光の曾孫(ひまご)にあたる加賀美遠光(かがみ・とおみつ)は高倉(たかくら)天皇から不動明王(ふどうみょうおう)像(ぞう)を下賜(かし)されました。 宮中(きゅうちゅう)の守衛(しゅえい)を勤めていた遠光が、甲斐源氏(かいげんじ)に伝わる「鳴弦(めいげん)の術」を使って、物の怪(け)に苦しめられていた天皇を助けたのでした。 このとき遠光は、空海(くうかい)が造った不動明王像に祈(いの)りました。 その不動明王像を、ご褒美(ほうび)としてもらったのです。
故郷(こきょう)への帰途(きと)、遠光は、曽祖父(そうそふ)の開いた大聖寺に不動明王像を収めたということです。 この伝承により、この時代にはすでに八日市場が街道に面した町であったことがわかります。 この不動明王像は昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されました。
確実な記録としては文永(ぶんえい)11年(1274)、日蓮聖人(にちれんしょうにん)が身延入山(にゅうざん)をなさった時に通ったのが、みのぶみちの道筋の一部であったということです。 日蓮聖人はそのようすを、「道は縄の如く細く、木は草の如く茂し」「路次のいぶせさ、峯に登れば日月をいただくが如し、谷に下れば穴に入るが如し」と手紙に書きました。
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