次の9つが甲斐九筋の道です。
甲斐から駿河(するが=静岡県)に通ずるものに「河内路(かわうちじ)」「右左口路(うばくちじ)」「若彦路(わかひこじ)」、相模(さがみ=神奈川県)への「鎌倉(かまくら)街道」、武蔵(むさし=東京都・埼玉県)へ通じる「萩原口(はぎはらくち)」「雁坂口(かりさかくち)」、それに信濃(しなの=長野県)へ向かう「穂坂路(ほさかじ)」「大門嶺口(だいもんとうげくち)」「逸見路(へみじ)」。
これらの道は、できた時代も、どのようにできたかも、それぞれが異なっています。
甲斐とほかの国をつなぐ主要な道には九筋以外にも佐久往還(さくおうかん)や東河内路(ひがしかわうちじ)などもありますが、あえて「九筋」と呼ぶようになったのは、江戸時代の行政(ぎょうせい)区画である『九筋ニ領(くすじにりょう)』の影響(えいきょう)も考えられます。
甲斐九筋のうちもっとも古いと考えられているのは若彦路で、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征(とうせい)した際に東海道から甲斐に入って来た道とされています。 やがて戦国(せんごく)時代になると、軍事上の重要な道路としての整備が進みました。
さらに、物流や信仰(しんこう)のための道としての役割もありました。 現在でも山梨県内の主要道である国道20号、38号、52号などは、甲斐九筋を、その時その時の時代に合わせて、少しずつ改良して来たものなのです。 甲斐九筋が山梨の歴史に深く関わっているというよりも、甲斐九筋が山梨の歴史そのものである、とも言えるでしょう。 |