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わしのれきしたんぼう 和紙の歴史探訪
 望月清兵衛さんのお墓  西未の印・甲州河内紙改所の印  かつて使われていた紙漉きの道具
 ちょこっとコラム「西嶋の紙漉き唄のこと」

西未の印・甲州河内紙改所の印
西未の印・甲州河内紙改所の印■西未の印(写真左)
 元亀2(1571)年に西嶋で和紙づくりを始めた望月清兵衛さんは、漉(す)いた紙を武田信玄に献上(けんじょう)しました。その際に、たいそう喜んだという信玄公から賜(たまわ)った印が、この「西未(にしひつじ)の印」です。西嶋には紙改(かみあらため)役人が置かれ、運上紙(うんじょうし)の取立てにあたるようになりました。束ねた紙の側面に捺印(なついん)したということで、印のない紙を販売(はんばい)することや、ほかの国へ持ち出すことは厳(きび)しく禁(きん)じられました。
 印は銅(どう)の鋳造(ちゅうぞう)でできており、篆書体(てんしょたい)の「西未」の文字が刻まれています。「西未」は、西嶋の「西」と、元亀2年の干支(えと)「辛(かのと)未(ひつじ)」の「未」を組み合わせたものです。印の背面には武田菱(たけだびし)の象眼(ぞうがん)が施(ほどこ)されています。

■甲州河内(かわうち)紙改所(あらためどころ)の印(写真右)
 明治維新(めいじいしん)後に新たに改印として用いられた印です。木製で上下の両面が印になっており、下側の印が改所の印です。

西未の印1

 西未の印
西未の印2

 西未の印(背面)
甲州河内紙改所の印1

 甲州河内紙改所の印(下側)
甲州河内紙改所の印2

 甲州河内紙改所の印(上側)

 身延町歴史民俗資料館(八日市場)所蔵 昭和41(1966)年山梨県文化財指定