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わしのれきしたんぼう 和紙の歴史探訪
 望月清兵衛さんのお墓  西未の印・甲州河内紙改所の印  かつて使われていた紙漉きの道具
 ちょこっとコラム「西嶋の紙漉き唄のこと」

望月清兵衛さんのお墓
望月清兵衛さんのお墓

 清兵衛さんのお墓と宝篋印塔
  昭和42(1967)年町文化財指定
峡南造紙開祖の碑

 峡南造紙開祖の碑
 西嶋にある栄宝寺(えいほうじ)の三十三番観世音(かんぜおん)を祀(まつ)る一画の裏手に、望月清兵衛さんのお墓があります。墓石(ぼせき)は宝篋印塔(ほうきょういんとう)で、寛永6(1629)年の建造とされています。宝篋印塔とは、宝篋印陀羅尼経(だらにきょう)を中に納(おさ)めることからこの名が生まれ、のちに墓石・供養(くよう)塔として用いられるようになったものです。

 栄宝寺の境内(けいだい)にはまた、明治45(1912)年に西嶋の人々により建てられた「峡南造紙開祖の碑(きょうなんぞうしかいそのひ)」があります。碑には西嶋を中心とした峡南地方の紙漉きの起源が記(しる)され、望月清兵衛さんの遺徳(いとく)を讃(たた)えています。