身延の民話


 類型的なお話のこと - 崖の悲しいお話 がけのかなしいおはなし

こんなお話

 離れた村に住む若い男女が知り合って恋仲(こいなか)になります。相手を愛(いと)しく思う気持ちが募(つの)るあまりに、娘(むすめ)は若者のもとに足しげく通うようになります。真っ暗な夜の闇(やみ)のなかを、いくつも山や峠(とうげ)を越(こ)えて─
 まるで何ものかに取り憑(つ)かれたかのような娘の必死なようすに、最初は喜んでいた若者もやがて恐れを抱(いだ)くようになり、ついにはいつものように通ってくる娘を崖に落とし死なせてしまう─

おなつ、おとら、琴路

 この「崖の悲しいお話」は、身延町内では旧中富町の曙(あけぼの)地区、旧身延町の下山地区に伝わっています。また、おとなり早川町の湯島にもあります。
 曙地区の「おなつがれ」では若者は炭焼きで、おなつは富士川の対岸、旧六郷(ろくごう)町葛籠沢(つづらさわ)の娘、現在の道路で最短を行っても13kmはある距離です。下山地区の「おとらのがれ」の男女は身延山奥之院(おくのいん)の若僧(にゃくそう)と下山のおとら、こちらは6kmほどの距離ですが、標高差は1000メートル近く。早川町の「琴路崖(ことじがれ)」は奈良田(ならだ)の吾平(ごへい)という曲物(まげもの)職人と保(ほ)の琴路という娘のお話で、20kmほどの隔(へだ)たりがあります。「がれ」というのはこの辺りの言い方で崖のことです。
 いずれの場合も、娘たちの通う道は難所(なんしょ)がいくつもあるような山道で、しかも真っ暗闇を何時間もかけて歩くわけです。娘たちの思いがいかに激しいものであったか、ということが伝わってきます。

 「おなつがれ」と「琴路崖」では、娘をうとましく思うようになった若者が、娘の通い道の途中(とちゅう)にある崖にかかる橋に細工(さいく)をし、そこをいつものように通ろうとした娘が崖に落ちて死んでしまいます。「おとらのがれ」の若いお坊さんは、家へ帰る娘を送る途中、娘を崖に突き落とします。お坊さんはのちに、病気にかかり死んでしまいます。「琴路崖」の吾平の場合は、橋に細工をしたあとに自(みずか)らも早川に身を投げる、という結末です。


つつじのむすめ

 この「崖の悲しいお話」は、山梨県内でも全国的にも、語られている例は少ないようです。長野県上田市には「つつじの乙女(おとめ)」というお話があり、これは上述(じょうじゅつ)した3つのお話とたいへん似た内容です。児童文学作家の松谷(まつたに)みよ子さんが、このお話をもとに「つつじのむすめ」という絵本を作っています(あかね書房刊)。
 「つつじのむすめ」によると、娘と若者は、若者の村のお祭りで知り合います。娘は若者に会いたくて矢も盾(たて)もたまらず、若者の村との間にある5つの山を越えて夜(よ)ごと若者のもとに通うのです。家を出るときに両手にひと握(にぎ)りずつ餅米(もちごめ)を握りしめて山を走り続けて行くと、若者に会うときにはそれがつきたての餅に変わっている。最初は幸せに思っていた若者ですが、嵐の夜にさえずぶぬれになって訪(おとず)れる娘に恐れをなし、厭(いと)わしく思うようになります。そしてある夜、険(けわ)しい崖の上で待ち伏(ぶ)せし、娘の足をすくって崖から落としてしまいます。その崖の娘の落ちたあたりには、真っ赤なつつじが咲き乱れるようになった、というお話です。

湖や海を渡る娘のお話

 ほかの類型的なお話では、娘が湖や海を渡って若者に会いに行く、というものがあります。河口湖(かわぐちこ)の「るすが岩」、琵琶湖(びわこ)の「おまん燈籠(どうろう)」、ほかに諏訪湖(すわこ)や佐渡島(さどがしま)、伊豆(いず)の初島(はつしま)などに伝わっています。
 娘は若者が対岸で燃やす火の明かりをたよりに、湖や海をたらい舟で、あるいは泳いで渡るのですが、娘をうとましく思うようになった若者がある晩(ばん)に火を消してしまったり、燃やす場所を変えてしまったりしたために、娘が溺(おぼ)れ死ぬのです。
 曙地区の「おなつがれ」にも、おなつが目印にしている炭焼き小屋の明かりを崖の切れ口に移動させることによっておなつが崖に落ちる、と伝えているものもあります。

 早川の「琴路崖」の場合が曲物職人、河口湖が大工、琵琶湖が力士などと、若者が村々を巡(めぐ)る職であることは、距離的にだいぶ離れた場所に住む男女が出会う背景(はいけい)に欠かせないようです。「おとらのがれ」では娘が若僧のいる奥之院を参拝(さんぱい)することにより知り合います。「おなつがれ」では若者は炭焼き職人ですが、「近隣(きんりん)の娘たちの間に知れ渡るほどの男っぷり」ということになっています。


早川沿いの村で語り継がれる

 山の中の崖と湖や海。どちらが先に生まれたお話なのか、またはまったく別々のものなのか、成り立ちについてはよくわかりませんが、険しい崖にしても、湖や海にしても、事故や災害(さいがい)などで人命(じんめい)が失われる危険な場所であることは共通しています。そういう場所に悲しいお話が生まれるのは自然なことなのでしょう。崖にはほかにも、口減らしのための姥(うば)捨てや子捨てなどのお話もよくあります。
 「崖の悲しいお話」としては山梨県内では峡南(きょうなん)地域の3つのお話のほかに目立つものがないのは特徴的なことかも知れません。曙、下山、湯島というのは、いずれも早川と結びつきのある土地であることからも、同じ時期にどこからか伝わり、同じように人々の間に広まったお話だということなのかも知れませんね。

 ほかの「崖の悲しいお話」をご存じの方は、ぜひお知らせください。

身延に伝わる「崖の悲しいお話」を読む

 「おなつがれ」(旧中富町曙)
 「おとらのがれ」(旧身延町下山)

 「琴路崖」は早川町のWEBサイトで読むことができます。→「リンク」のページへ