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類型的なお話のこと - 建長寺のたぬき和尚 けんちょうじのたぬきおしょう

こんなお話

 神奈川県の鎌倉(かまくら)に建長寺という有名なお寺があります。臨済宗(りんざいしゅう)建長寺派の大本山(だいほんざん)です。大本山というのは、総本山(そうほんざん)のすぐ下にあって、さらにその下にあるたくさんのお寺を取りまとめる重要なお寺のことです。
 その建長寺に住みついたたぬきがお寺の和尚さんに化けて旅をして、その先々でいろいろなことが起こります。ストーリーにはいくつかのパターンがあります。


旅先でのようすは?

 「建長寺さん」が村にやってくる前には、「建長寺さんは犬が嫌(きら)いなので、つないでおくように」というお触(ふ)れがあります。この部分は必ず語られる要素です。
 建長寺さんが泊(と)まるのは、お寺か名主(なぬし)などの村の実力者の家です。食事を供(きょう)されるときには「決して覗(のぞ)いてはならない」、と人々を遠ざけます。部屋に閉じこもるとか、屏風(びょうぶ)を廻(めぐ)らせるなど─そして必ず、その態度を不審(ふしん)に思った者が覗き見ます。すると、建長寺さんはお膳(ぜん)に食べ物をすべてぶちまけて四つんばいで食べていて、しかも食事が終わったあとの状態は甲州弁で言うところの「えらい剣幕(けんまく)」だった─
 また、お風呂を焚(た)いてもてなすパターンもあり、この場合も人を遠ざけ、部屋からお風呂までずらりと屏風を並べさせたりして、やはり建長寺さんがお風呂から出たあとはそこらじゅう水浸(びた)しだった、というふうです。

 もてなしをした家の人などが、建長寺さんに「記念に何か書いて欲しい」と頼(たの)むと、建長寺さんは絵とも字ともつかないものを書きます。それがどこそこの家に家宝(かほう)として伝わっている、というパターンが多くあります。

エンディング

 建長寺さんは、もてなしをしを受けた家や寺を辞(じ)して駕籠(かご)に乗って行く道中(どうちゅう)などに、犬に襲(おそ)われかみ殺されてしまい、たぬきが化けていたのだとわかります。
 化けの皮が剥(は)がれるタイミングはさまざまで、かみ殺されてすぐにの場合もあれば、遺体(いたい)を安置(あんち)して4日目、7日目など、具体的な日数を語るものが多いのも特徴です。

なぜ和尚さんに化けて旅をしたのか?

 建長寺さんに化けたたぬきが「いいたぬき」のパターンと「悪いたぬき」のパターンがあります。
 「いいたぬき」は、病気になってしまった本物の和尚さんの代わりにあちこちを旅して、お寺のための浄財(じょうざい)を集めて回りました。和尚さんへの恩返しです。 「悪いたぬき」は、和尚さんを殺してしまい、和尚さんになりかわって行く先々でもてなしを受けては「いい思い」をしていたのでした。
 なかには、「和尚さんを殺した」とは語っていないけれど、かと言って「お世話になった和尚さんの代わりに」でもないパターンもあります。このような場合、人間に化けたたぬきの奇抜(きばつ)な行動をおもしろおかしく語る面に重点が置かれて伝わってきたということなのかも知れません。

由来譚(ゆらいたん)としての建長寺さん

 このお話を「けんちん汁」のルーツとして語るものもあります。
 それによると、もてなしの食事として、建長寺さんに「これこれこういうものを用意せよ」と指示されるままに、今まで作ったことのない料理を出します。あとに残ったその料理を食べてみたところ、あまりのおいしさに驚き、その地の定番メニューになったというものですが、その食べ物を「建長寺」と呼んでいたものが転訛(てんか)して「けんちん」になったということです。


身延以外では?

 「建長寺のたぬき和尚」は、建長寺のある神奈川をはじめ、東京、長野、静岡、山梨でおもに語られているようです。建長寺末(まつ)のお寺にはどこにも、何らかのお話が伝わっていそうですね。
 山梨県内では、甲府市、山梨市、大月市などにもあり、近いところでは市川三郷町(いちかわみさとちょう)の六郷(ろくごう)地区にもあります。

身延に伝わる「建長寺のたぬき和尚」を読む

  「建長寺様」(旧中富町大須成)