身延の民話




【地区】
大須成
旧中富町
大須成地区

【ジャンル】
動物
動物

【出典】 『ふるさと中富のはなし』 (ふるさと中富のはなし編集委員会 2004)
建長寺様
 けんちょうじさま
 その一


 「なんてまぁーありがたいことじゃないか、こんな山の村にまで建長寺(けんちょうじ)の住職(じゅうしょく)さんがお説教(せっきょう)にと、お出(い)で下さるとは」名主(なぬし)のお触(ふ)れで大塩(おおしお)に建長寺様が来ることを知らされた村の人たちには、ことの外(ほか)の喜びであった。

 「建長寺様は犬は嫌(きら)いだ。当日各家の犬はつなぐように」とのきついお達(たっ)しがあった。当日会場にあてられた法永寺(ほうえいじ)には、朝早くから村の人たちが集まって、準備をし、お待ち申していた。

 「犬はつないだかぁー」先触(さきぶ)れの人たちの声がして、しばらくした後、建長寺様が乗られたお駕籠(かご)と、それに続く行列が寺にお着きになった。

 「ただただ有難(ありがた)いでのー…」極楽三昧(ごくらくざんまい)のうちにお説教が終った。お昼のご飯となると「給仕(きゅうじ)はいらぬ」とご馳走(ちそう)が運ばれた部屋は戸を閉めて、建長寺さん一人だけで食べられた。

 「建長寺さんともあろう坊さんが……」と不審(ふしん)に思った村人たちが、戸の節穴(ふしあな)からこっそりと中の様子をうかがうと、これまたびっくり。ご馳走をみんな膳(ぜん)にあけて、両手をついて舌にて掻(か)き寄せては食べていたとのこと。そして膳のまわりはご飯粒(つぶ)だらけであったとのこと。

 お出(い)での記念に揮毫(きごう)を頼むと、「よしよし」と頷(うなず)いて墨(すみ)をすり、すり終わると部屋は一人だけにして、せっかく準備した太筆は使わずに皿の墨汁(ぼくじゅう)に背を向けて、尻尾(しっぽ)のような筆で何やら書かれたが、字とも絵とも判断がされなかったものであった。

 夕飯前にお風呂をとすすめると、「流し(風呂場で体を洗ってやる人)はいらぬ」といい、閉めきった風呂場からはバタバタと異様(いよう)な音が洩(も)れたという。上られた風呂場を見てまたもびっくり。浴槽(よくそう)は空っぽになって、風呂場の窓や壁(かべ)から天井(てんじょう)までがびしょ濡(ぬ)れになっていたとのこと。

 翌朝、村外(はず)れまでお送りして、名主を初め村の人たちはほっとしたが、何としてもわからないことがいくつか残った。

 子供のころご飯を喰(く)いこぼすと「なんだ建長寺様のようではないか」といわれ、小学校に上ったころ書いた図画や習字の不出来(ふでき)なものを見ては、建長寺様が書いたようなものではないかといってよく笑われた。

 その二


 大塩村・上大塩の「大家(おおや)」という屋号(やごう)の家に、建長寺の僧(そう)と名乗る一人の旅僧(たびそう)が、一夜(いちや)の宿を求めた。

 これに応じた大家の者に僧は、晩(ばん)めしにはこれこれのものをこしらえてくれ、米の飯はいらないと言ったので、家の者はその通りのものを作って、僧の部屋に運んだ。

 「食事中部屋をのぞくな」と言って襖(ふすま)を閉めた僧の言葉に、不審を抱いた家人(かじん)が、そっと襖を細くあけて中を見ると、一匹の大狸(おおだぬき)が大どんぶりの煮物(にもの)へ口を突っ込んで、おいしそうに家人が僧のいう通りに作ったものを食っているのであった。思わず家の者が悲鳴をあげると、狸は、襖を蹴破(けやぶ)って外へ飛び出して行った。

 僧が家の者に頼んだのは、食い油、大根、豆腐(とうふ)、白イモなどを使った汁煮(しるに)で、こんなものは今まで作ったことのないもので、鍋(なべ)に残ったその味のよさは格別(かくべつ)だった。たちまち、この汁煮が「建長寺」の名で村中にひろまり、それがいつしかなまって「けんちゃん」とか「けんちん」となったのだという。

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