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みんわってなんだろう
民話って何だろう?

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民話って何だろう?

 「民話」という言葉は戦後になってから使われ始めました。昭和50年代(1975〜1984)には全国的に民話人気が高まり、数々の書籍(しょせき)が出版(しゅっぱん)され、テレビやラジオなどのメディアにも取り上げられるようになりました。
 「民話」はよく耳にする言葉ですよね。とはいえ、「民話って何のこと?」と問われると、はっきりとはわからない、という人も多いのではないかと思います。

 『広辞苑(第六版)』では民話を「民衆(みんしゅう)の中から生まれ伝承されてきた説話、民譚(みんだん)」と説明しています。 そのほかの辞書・事典類を開いてみても、「人々の生活の中から生まれたもの」、そして「口伝えで語り継(つ)がれてきたもの」、 この2点が共通して、民話の意味するところとして記されています。


 山梨県の民話研究の草分けであり第一人者でもあった旧上九一色(かみくいしき)村出身の土橋里木(つちはし・りき)さんによりますと、一般的な使い方としての「民話」には、「伝説」「昔話」「動物譚(たん)」「笑い話」「世間話」などのお話が含(ふく)まれるということです。これらの中で主なものである「伝説」と「昔話」について、その違いを土橋さんは次のように説明しています。


伝説 昔話
土地との結びつき 目に見えるもの(岩石、樹木、沼、川、山)について語られ、そのいわれを説明している 土地には結びつかない
型の有無 決まった型はなく、長短も自在 語り始めの「昔々」、終わりの「めでたしめでたし」や、聞き手の合いの手など決まった型がある
内容の真実性 すべて真実だとは信じ切れないものの、実在するものにまつわるので信じたい、信じてもらいたい 信じない傾向(けいこう)がある
一言で言うと… 信仰 文芸

 さらに、「伝説」と「昔話」の違いについて独特のたとえで解釈(かいしゃく)している民俗学者・柳田国男(やなぎだ・くにお)の文章を引用してみましょう(現代語表記に直してあります)。

 伝説と昔話とはどう違うか。それに答えるならば、昔話は動物の如(ごと)く、伝説は植物のようなものであります。昔話は方々(ほうぼう)を飛びあるくから、どこに行っても同じ姿を見かけることが出来ますが、伝説はある一つの土地に根を生やしていて、そうして常に成長して行くのであります。雀(すずめ)や頬白(ほおじろ)は皆同じ顔をしていますが、梅(うめ)や椿(つばき)は一本一本に枝振(ぶ)りが変わっているので、見覚えがあります。可愛(かわい)い昔話の小鳥は、多くは伝説の森、草叢(くさむら)の中で巣立ちますが、同時に香りの高いいろいろの伝説の種子や花粉を、遠くまで運んでいるのもかれ等(ら)であります。自然を愛する人たちは、常にこの二つの種類の昔の、配合と調和とを面白(おもしろ)がりますが、学問はこれを二つに分けて、考えて見ようとするのが始めであります。
『日本の伝説』はしがきより

 以上、「伝説」と「昔話」の違いにについて見てみましたが、ひとつのお話を「これは伝説、こっちは昔話」というように単純には分けられないことも多く、また、お話を純粋(じゅんすい)に味わい楽しむためにはあまり必要なことではなさそうです。この「身延の民話」サイトでは、「伝説」「昔話」などの分類にとらわれずに、町内各地に伝わるさまざまなお話を取り上げてみたいと思います。


 冒頭(ぼうとう)で記したように、昭和50年代には全国的な民話ブームが起こりました。合理化社会からの解放を求める風潮(ふうちょう)が生まれ、心のふるさとを民話に求めたのではないか、と土橋さんはその当時に分析(ぶんせき)していました。
 さらに時代の流れが速まり、情報があふれ、ますます複雑になって行く現代においては、心の拠(よ)りどころとしての「ふるさと」の価値も、非常に大きなものになってきているのではないでしょうか。そんな時代の変化とともに、民話の存在意義もまた、変化して行くのかも知れません。

【このページの参考文献・資料】

『山梨県の民話と伝説─ふるさとの民話研究』(土橋里木・有峰書店) 『久那土の民話─ふるさと運動第二集』(下部町教育委員会編) 『日本の伝説』(柳田国男・三国書房)