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街道のようす
〜町内の宿と街道沿いの史蹟〜


かいどうのようす
〜ちょうないのしゅくとかいどうぞいのしせき〜
[鰍沢町箱原〜西嶋 | 手打沢〜切石 | 八日市場〜飯富 | 下山 | 身延〜榧の木峠]

下山近辺のルート下山


 天正8(1580)年の文書に伝馬宿としての記述があり、戦国期にはすでに成立していたことがわかっています。 『?語彙集斐国志(かいこくし)』には、八日市場から一里五町、本馬五七文・軽尻四一文・人足二九文。 南部宿へ四里一五町、本馬二五八文・軽尻一七一文・人足一二九文と書かれています。 本陣、問屋、会所などがあった仲町周辺に旧観が残っています。

1上沢の道祖神 自然石で高さ1m、ここより身延久遠寺まで一里半の語が書かれています。 通称「白ひげさま」で、現在は個人宅の敷地内にあり、屋号を「松の木下」といいます。 かつて一里松があったといわれています。

2上沢寺(じょうたくじ) 日蓮宗。 境内(けいだい)のオハツキイチョウは高さ23m、国指定天然記念物です。 このイチョウの木には、日蓮聖人の身延入山の時の伝説があります。

3穴山氏煙硝倉(えんしょうぐら)跡 上沢寺西方200mの北沢左岸にある21m四方、高さ33mの方形台地で、穴山氏の煙硝倉跡と言い伝えられています。

4穴山氏館(やかた)跡 本国寺及びその周辺が館跡といわれています。 また下山氏の館跡とも伝えられています。 下山は戦国時代には穴山氏の河内領(かわうちりょう)支配の中心地でした。 昭和8(1933)年に建てられた「下山城址」の碑(ひ)は、戦前の史蹟(しせき)名勝天然紀念物保存法に基づく県仮指定の標柱です。

5長栄山本国寺(ほんごくじ) 日蓮宗。 開山は最蓮房日浄で、敷地は下山氏あるいは穴山氏の居館跡と伝えられています。 境内のオハツキイチョウには日蓮聖人植樹の伝説があり、国指定天然記念物になっています。 県指定文化財の磐、町指定文化財の木鼻獅子などを保有しています。

6正福寿山南松院(なんしょういん) 臨済宗。 穴山信君が亡くなった母南松院葵庵理誠のために開創したといわれています。 堂宇は慶応2(1866)年の火災で焼失しましたが、多くの指定文化財、古文書を蔵しています。

7下山宿本陣 仲町。 今でも屋号を「本陣」と呼ばれる当家は元穴山氏の重臣(じゅうしん)の家と伝えられ、戦国江戸期を通じて下山伝馬(てんま)宿本陣をつとめました。

9宮原入口の道標
8常福寺(じょうふくじ) 日蓮宗。 境内にある高さ20mのオハツキイチョウは町指定の天然記念物です。 下山大工棟梁(とうりょう)の石川家の墓、幕末の偽勅使(にせちょくし)事件で知られる小沢一仙(おざわ・いっせん)の墓などがあります。

9宮原入口の道標 明治6(1873)年に波木井(はきい)へ続く新道が造られてできた分岐(ぶんき)です。 「右身延山道是ヨリ本堂迄四十丁餘 左駿州往還明治二十一年十月日」

富士川左岸

10八木沢(やぎさわ)の渡し 八木沢と下山を結んでいた渡し。

11帯金(おびかね)の渡し 帯金と下山を結んでいた渡しで、昭和28(1953)年頃まで利用されていました。

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