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佐野為雄さん |
さの・ためお |
明治35(1902)-昭和47(1972) 身延町下山生まれ |
昭和30(1955)年に合併(がっぺい)により旧身延町が誕生、町議会議員に当選し、初代議長となりました。 昭和34(1959)年10月には旧身延町の初代助役(じょやく)に就任(しゅうにん)し、昭和38(1963)年2月には無投票で町長選に当選しました。 昭和41(1966)年9月の台風26号により町が大きな災害(さいがい)を蒙(こうむ)ったときには、この復旧(ふっきゅう)のために全力を尽くしました。 昭和42(1967)年2月には無投票で町長に再選されます。 昭和44(1969)年には世界連邦平和都市宣言を議決しました。 町誌(ちょうし)編纂(へんさん)を行ない、昭和45(1970)年、身延町誌を発行しました。 昭和46(1971)年、無投票で身延町長に3度めの当選をしました。 昭和47(1972)年4月、山梨県町村会会長に就任します。 同じ年の6月、定例議会召集(しょうしゅう)後に病を得て入院、10月に亡くなり、身延町町葬(ちょうそう)が執(と)り行われました。 |
佐野為雄さんのお人柄は | ちょっと ひといき |
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同じ下山出身の望月小太郎(もちづき・こたろう)さんの著書『富士を仰いで』に、佐野為雄さんのお人柄を偲(しの)ばせる一節があります。 | |||
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身延町立図書館と佐野為雄さん | こんな話も あるんです |
昭和47(1972)年、佐野為雄さんは町長在職中に急逝(きゅうせい)されましたが、佐野さんの御遺族(ごいぞく)から身延町立図書館(前身)にたくさんの寄付(きふ)金をいただきました。 図書および書架(しょか)の購入(こうにゅう)に充(あ)てられました。 |
【このページの参考文献・資料】 『ひとすじの道─佐野為雄を偲んで─』(佐野為雄追悼誌編集委員会) |