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望月小太郎さん |
もちづき・こたろう |
明治44(1911)-平成18(2006) 身延町下山生まれ |
下山村立小学校高等科2年のときに、進学の末に就(つ)く一般的な職業、代用教員や役場勤めなどに納得がいかず、高等科以降の進学をしない決断をします。 大正14(1925)年に卒業し、就くべき職を思案していたところ、関東大震災(だいしんさい)後でもあり建築屋さんの景気がたいへんよいことに気づきます。 甲府市外の建築屋へ徒弟(とてい)として奉公(ほうこう)し、5年間下働きしました。 |
生まれながらの商才? | 話のとちゅう ですが… |
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望月小太郎さんは、小学校5年、11〜12歳のころにすでに独力で商売を始めたといいます。 自著『富士を仰(あお)いで』には次のように記されています。 持って生まれた商人ぶりがうかがえます。 |
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昭和6(1931)年、徴兵(ちょうへい)検査を受けますが、結果は身長が低かったためか「丙種(へいしゅ)」でした。 周りに満蒙(まんもう)青少年義勇軍(ぎゆうぐん)に応募(おうぼ)するもの、東京へ出稼(かせ)ぎに行くものがいるなかで、自分も一旗(ひとはた)あげたいと思っていたそうです。 「こんな草深いところにくすぶっていてはいかん。 若いものは一度、外へ出て働いてきなさい」という母の言葉に励(はげ)まされ、
満州(まんしゅう)行きの相談のために、知人のいる大阪府警察(けいさつ)部の職業紹介課を訪ねました。 しかし、故郷で地道(じみち)に働くようにとのアドバイスを受け帰途(きと)につきます。
大阪から帰る途中、往(い)きの列車で出会った稲枝(いなえ)村(滋賀県彦根市)の村会議員の家を訪ねました。 ここで、月額25円、雨で休んだら1日80銭(せん)差引くという条件で百姓(ひゃくしょう)仕事をします。 勤勉(きんべん)に働きその村での信頼を得(え)、昭和7(1932)年1月には独立して建築業を営むようになりました。 仕事は繁昌(はんじょう)し、人手が足りなくなると、山梨からも大工などを募り20〜30人も連れてきたということです。 1年半ほどで大きな資産を築(きず)きました。 稲枝村の縁故(えんこ)の者から大阪府庄内(しょうない)村(豊中市庄内)での住宅建築を請(う)け負って以後、大阪に視線が向き始めます。 大阪、稲枝の双方で仕事をしていましたが、両立が困難になったため、庄内に独立の店を持つことにし、昭和9(1934)年1月、建築請負(うけおい)業「望月組」を発足(ほっそく)しました。 満23歳のときのことです。 同じ年の9月に室戸(むろと)台風による大きな被害があり、建築業は繁昌(はんじょう)します。 自著『富士を仰いで』には、「私は、この“天恵(てんけい)”の好況にも驕(おご)ることをつつしんで、展開する自らの運命を噛(か)みしめながら、他日(たじつ)のより高い目標をみつめて、精進(しょうじん)を怠(おこた)るまいと心ひそかに思い決めるのでした」と綴(つづ)られています。 地域に受け容(い)れられるために、集会場を建てて寄附(きふ)もしたということです。 昭和10(1935)年、お父さんの探してくれた相手との結婚が決りますが、山梨での婚礼の日をすっかり忘れてしまい、何日か遅れてたどりついたというエピソードがあります。 幸い婚礼は成立し、昭和11(1936)年には長男が誕生しました。 第二次世界大戦敗戦後には、財産税納税のため所持していた600戸余りの貸家(かしや)を売却(ばいきゃく)処分しなければなりませんでした。 昭和22(1947)年、大阪府議会議員選挙に無所属(むしょぞく)で立候補し、最高得票で当選します。 4年後の選挙では残念ながら74票差で次点に終わりました。 昭和23(1948)年の下山中学校新設の際には、体育館建設、グランド野球用ネット等の工事費の大半を寄附しています。 昭和31(1956)年、会社名を現在の望月建設株式会社に変更しました。 望月小太郎さんは、平成18(2006)年1月、94歳で亡くなりました。 平成8(1996)年に身延町総合文化会館がオープンした折にはホールの緞帳(どんちょう)を、また亡くなったのちに完成した下山小学校の新校舎には家族の方を通じて太陽光発電システムを寄附するなど、生涯を通しふるさと身延町および下山地区に思いを寄せてくださいました。 |
同姓同名 | もう少し補足 しますと… |
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明治44(1911)年生まれの下山村の望月小太郎さんと、慶応元(1865)年生まれの身延村の望月小太郎さん。 実業家と政治家という異なる分野であっても、それぞれの分野で活躍したふたりが同姓同名なので、少々ややこしいですよね。 下山村の望月小太郎さんは自著のなかで、先輩の望月小太郎さんのことについて触れています。 | |||
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望月小太郎さんの 著書 |
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関連資料 |
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リンク
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【このページの参考文献・資料】 『富士を仰いで』 |