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松木幹之甫さん |
まつき・みきのすけ |
大正9(1920)-平成19(2007) 身延町下山生まれ |
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なにをしたひと? 戦前、戦後を通じて町内小中学校の校長などを務(つと)めました。 柔道家(じゅうどうか)でもあり、指導(しどう)者としてもスポーツを通じた健全な青少年の育成に励(はげ)み、戦後は県下に先がけて学校柔道を復活させました。 山梨県柔道連盟(れんめい)会長や関東柔道連合会副会長などを務め、地域を越えて柔道の振興(しんこう)、発展に功績(こうせき)を残しました。 |
![]() 松木幹之甫さん |
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もっと詳しく…![]() |
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身延西小学校の新校舎建設 |
![]() なつかしいな・・・ |
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昭和24(1949)年建築された校舎は、昭和52(1977)年、県の木造校舎耐力度(たいりょくど)調査において、危険(きけん)校舎として指定されます。当時の校長であった松木さんは新校舎建設に主体的に取り組み、PTAや町および地域住民の協力と理解を得て、当時としては県下髄一(ずいいち)の先端設備(せんたんせつび)を持った近代的校舎の完成へと結実(けつじつ)したのでした。 松木さんは竣工(しゅんこう)の翌年、昭和55(1980)年3月に定年を迎えました。 | ||||||||||||||||
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柔道とともに…![]() ![]() |
130畳敷の身延中学校武道場と大柔道家 |
![]() こんなこと知ってた? |
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戦後、県下でいち早く、昭和28(1953)年に身延町柔道連盟(れんめい)を設立した松木さんは、身延中学校の武道(ぶどう)場建設にとりかかります。 この武道場は130畳敷(じょうじき)という大きさで、身延山久遠寺(くおんじ)休憩所(きゅうけいじょ)の廃材(はいざい)を使って建設されました。 竣工記念式典は、かの三船久蔵十段を招待し盛大(せいだい)に開催されました。 | |||
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柔道の心を伝える![]() ![]() |
せいりょくぜんよう・じたきょうえい 『精力善用自他共栄』とは |
![]() 柔道って深い! |
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これは松木さんの学んだ講道館(こうどうかん)柔道の創始者(そうししゃ)、嘉納治五郎(かのう・じごろう)さんが確立(かくりつ)した柔道の根本原理(こんぽんげんり)であり、その道標(みちしるべ)ともなる言葉です。 松木さんもこの言葉を信条(しんじょう)としていました。 | ||
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嘉納さんは東京高等師範(しはん)学校などの校長を務めた教育者でもありました。 柔道の偉大(いだい)な師であり、教育者の先達(せんだつ)が掲(かか)げた道標は、松木さんの信条になりました。 学校教育、社会教育、そして柔道。 その三つを繋(つな)ぐこの信条から、松木さんが理想とし目指したものが浮(う)かび上がってくるようです。 |
【このページの参考文献・資料】 『山梨柔道連盟創立50周年記念誌』( 山梨県柔道連盟) 『大日本柔道史』(1939 講道館) 『嘉納治五郎』(1997日本図書センター) 『柔道回顧録』(1981講談社) 『山梨県柔道連盟WEBサイト』 『講道館WEBサイト』 |