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下山大工の歴史の中の
大きなできごと


しもやまだいくのれきしのなかの
おおきなできごと


2. 職業出入 〈1〉
 職業出入(しょくぎょうでいり)というのは、甲府(こうふ)の府内(ふない)で仕事をする権利をめぐって起きた争いです。 甲府の大工たちと、地方の大工たちとが争いました。 文政(ぶんせい)6年(1823)から9年(1826)にかけてのことです。

 甲府の町方(まちかた)大工たちにとって、在方(ざいかた)大工(地方の大工)が甲府に来て仕事をすることは、嬉(うれ)しいことではありませんでした。 自分たちの仕事が減ってしまうのですから、当然のことです。 在方大工が甲府に入って来るのを何とかして食い止めようとする動きは、すでに?語彙集山梅雪(あなやま・ばいせつ)の時代からありました。

 安政(あんせい)7年(1778)になると甲府の大工たちは、在方大工が甲府へ入るのを禁止して欲しいということを、甲府勤番所(きんばんしょ)に訴えました。 在方大工は?語彙集加金(みょうがきん)も払わないし、安い給料で働くので、自分たちにとって都合(つごう)が悪い、という理由でした。

 三郡(さんぐん)の在方大工は、甲府の大工に対抗(たいこう)します。 次の年、下山村の定右衛門(さだえもん)、金左衛門(きんざえもん)、勝之丞(かつのじょう)が代表となって、勤番支配(きんばんしはい)の松平下野守忠孝(まつだいら・しもつけのかみ・ただたか)、渡辺図書頭貞綱(わたなべ・ずしょのかみ・さだつな)に訴え出ました。 勤番支配は甲府の町方大工の訴えを退(しりぞ)けて、いったんは争いがおさまりました。

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