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みのぶみち 〜歴史と道筋〜

みのぶみち 〜れきしとみちすじ〜
[1. 甲斐九筋 | 2. 河内路・みのぶみち・駿州往還 | 3. みのぶみちの道筋]
[4. 大聖寺の言い伝えと日蓮入山 | 5. 武田信玄以後 | 6. 険しい道]

1. 甲斐九筋
  江戸(えど)時代後期に編纂(へんさん)された『?語彙集斐国志(かいこくし)』に次のように書かれています。

  「本州九筋ヨリ他州ヘ達する道路九条アリ皆路首ヲ酒折ニ起ス」(巻ノ一「提要部」)

 甲斐(かい)の国から他国へ通じている道は9筋(すじ)あり、それらはみな酒折宮(さかおりみや)を起点としている」という内容です。 ここに書かれている「九条(くすじ)の道路」というのがいわゆる『?語彙集斐九筋(かいくすじ)』であり、江戸時代よりも昔から甲斐の国にあった古い道、古道(こどう)の総称(そうしょう)です。
甲斐九筋 次の9つが甲斐九筋の道です。
 甲斐から駿河(するが=静岡県)に通ずるものに「河内路(かわうちじ)」「右左口路(うばくちじ)」「若彦路(わかひこじ)」、相模(さがみ=神奈川県)への「鎌倉(かまくら)街道」、武蔵(むさし=東京都・埼玉県)へ通じる「萩原口(はぎはらくち)」「雁坂口(かりさかくち)」、それに信濃(しなの=長野県)へ向かう「穂坂路(ほさかじ)」「大門嶺口(だいもんとうげくち)」「逸見路(へみじ)」。
 これらの道は、できた時代も、どのようにできたかも、それぞれが異なっています。

 甲斐とほかの国をつなぐ主要な道には九筋以外にも佐久往還(さくおうかん)や東河内路(ひがしかわうちじ)などもありますが、あえて「九筋」と呼ぶようになったのは、江戸時代の行政(ぎょうせい)区画である『?語彙集筋ニ領(くすじにりょう)』の影響(えいきょう)も考えられます。

 甲斐九筋のうちもっとも古いと考えられているのは若彦路で、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征(とうせい)した際に東海道から甲斐に入って来た道とされています。 やがて戦国(せんごく)時代になると、軍事上の重要な道路としての整備が進みました。
 さらに、物流や信仰(しんこう)のための道としての役割もありました。 現在でも山梨県内の主要道である国道20号、38号、52号などは、甲斐九筋を、その時その時の時代に合わせて、少しずつ改良して来たものなのです。 甲斐九筋が山梨の歴史に深く関わっているというよりも、甲斐九筋が山梨の歴史そのものである、とも言えるでしょう。

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