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大正11(1922)年、高等小学校卒業後、東京で印章(いんしょう)業をしていた24歳上の長兄(ちょうけい)の勧(すす)めで一ツ橋(ひとつばし)にある共立女子職業学校(現共立女子学園)へ通いました。 関東大震災(しんさい)の混乱をはさみ、大正13(1924)年に卒業しました。
大正14(1925)年、久那土(くなど=身延町三澤)出身で東京日本橋馬喰町(ばくろちょう)で和装問屋(わそうどんや)を構えていた上田嘉明さんと結婚しました。 嘉明さんは曽祖父(そうそふ)の名、嘉一朗(かいちろう)を襲名(しゅうめい)しました。
昭和18(1943)年、夫の嘉一朗さんが逝去(せいきょ)し、美枝さんが上田嘉一朗商店を継ぎました。 昭和23(1948)年には株式会社上田嘉一朗商店を設立、社長に就任(しゅうにん)します。 きものや帯に工夫を加えたオリジナル商品を作り始めました。 昭和33(1958)年には海外視察(しさつ)へも赴(おもむ)きました。
昭和34(1959)年、「裁(た)ち目無し産着(うぶぎ)」で特許(とっきょ)取得しました。 以降、約100件の特許を取得しています。
昭和39(1964)年、東京オリンピック選手村でのきものショーをはじめ、国内だけでなくニューヨーク,、ハワイ(1965年)、フランス、デンマーク(1969年)など、海外でも展示会を開催(かいさい)しました。
昭和50(1975)年、三澤(みさわ)に三澤瀧祭社(たきまつりのやしろ)を建立し、「故郷の屋敷(やしき)に神様をまつりたい」との、嘉一朗さんの念願を果しました。 昭和53(1978)年には三澤瀧祭社境内に「財団法人(ざいだんほうじん)・美枝きもの資料館」を設立しました。 平成9(1997)年に株式会社上田嘉一朗商店会長に就任。 平成14(2002)年、94歳で亡くなりました。
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