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望月継治さん |
もちづき・けいじ |
大正6(1917)-平成6(1994) 身延町八日市場生まれ |
昭和23(1948)年、伯父(おじ)さんの経営(けいえい)する銀座精養軒に入社します。 昭和24(1949)年には独立し、パン・洋菓子製造販売(はんばい)を始めました。 昭和27(1952)年、株式会社神田精養軒を設立し、社長になりました。
旧中富町のためにも尽(つ)くしました。 中央との文化交流を図ったり、高校移動セミナーを開催したり、桜苗木(なえぎ)や中富総合会館の緞帳(どんちょう)などを寄贈(きぞう)しました。 平成6(1994)年に亡くなりました。 |
食に対する思想 | 時代の最先端を 行く! |
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望月継治さんは、よりよいパンを作るために力を注ぎ続けましたが、その根底には確固(かっこ)とした思想がありました。 ここ数年、「食育(しょくいく)」や「地産地消(ちさんちしょう)」「フードマイレージ」などのことばが語られるようになり、食の安全性への関心が高まり、さらには世界的な食糧(しょくりょう)不足が懸念(けねん)されるなか、ようやくわが国の食糧自給率の低さが注目されるようになりました。 しかし、望月さんはもう半世紀近くも前から、日本が現在抱え持つさまざまな食糧問題の根源を見抜き、将来を予測し、危機(きき)感を抱いていました。 その上で、日本という国で生きる人にとっての正しいパン、理想のパンを追求したのです。 著書『パン屋のおやじは考える』の一部を紹介しましょう。 |
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役職歴・褒章など
昭和42(1967)年、家庭チーズ(カッテージチーズ)を作る国民運動を提唱(ていしょう)し、第2回国際ホームショーにて真珠(しんじゅ)賞を受賞しました。 昭和58(1983)年、旧中富町特別町民に選ばれました。 |
関連資料 |
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【このページの参考文献・資料】 『パン屋のおやじは考える』(神田精養軒) 『中富町50年の軌跡』(中富町役場合併対策課) |