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鮎川省三さん |
あゆかわ・せいぞう |
明治25(1892)-平成4(1992) 身延町下八木沢生まれ |
大正2(1913)年に山梨県師範(しはん)学校第一部を卒業したのち30年以上にわたり教職に就きました。 大正10(1921)年に大和小学校の校長に就いて以来、帯金(おびかね)小学校、 身延小学校、身延中学校などの校長を務め、義務教育を通して能力のある人材の養成(ようせい)に尽くしました。 昭和24(1949)年3月に退職したのちは、教育のみならず、町政や文化のさまざまな分野で活躍(かつやく)しました。 歴任したおもな役としては、旧大河内村および旧富里村(旧下部町)の教育長、大河内公民館初代館長、青少年相談員、民生委員推薦(すいせん)委員、選挙管理委員および委員長、文化財審議(しんぎ)委員会会長、 町誌編纂常任委員、町民憲章起草(きそう)委員などがあります。 山梨県の社会教育委員も務めました。 鮎川さんはまた剣道有段者(7段)でもあり、昭和54(1979)年5月には全日本剣道連盟(れんめい)より範士(はんし)の称号(しょうごう)を授与されました。 範士というのは、剣道の称号のうちの最高位です。 長年にわたり山梨県剣道連盟の指導者および役員を務め、名誉会長にもなっています。 子どもたちの指導育成にも尽くし、鮎川杯(はい)による奨励(しょうれい)など、スポーツの振興(しんこう)、発展に貢献しました。 昭和52(1967)年に山梨県剣道連盟が発刊した『山梨県剣道史』では、編纂委員長を務めています。 鮎川さんは100歳のご長寿(ちょうじゅ)をまっとうされました。 剣道は、90歳になるまで学生たちに交じって続けていたとのことです。 |
【このページの参考文献・資料】 『広報みのぶ 平成4年3月号(第321号)』(身延町役場) 『山梨県剣道史』(山梨県剣道連盟) |