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鮎川省三さん

あゆかわ・せいぞう
 明治25(1892)-平成4(1992) 身延町下八木沢生まれ

なにをしたひと? もっと詳しく… 役職歴・褒章など 関連資料


なにをしたひと?

 長年にわたり教職に就(つ)き、小中学校の校長を歴任、地域の教育に尽(つ)くしました。 退職後も、文化財審議(しんぎ)会や町民憲章(けんしょう)の制定、町誌の編纂(へんさん)など、旧身延町のために大きな貢献(こうけん)をしました。 剣道の指導者としても功績(こうせき)を残しています。 身延町の名誉(めいよ)町民です。

鮎川省三さん写真
鮎川省三さん
もっと詳しく…

明治25(1892)年1月24日、大河内村下八木沢(おおこうちむら・しもやぎさわ=身延町下八木沢)の生まれです。
大正2(1913)年に山梨県師範(しはん)学校第一部を卒業したのち30年以上にわたり教職に就きました。 大正10(1921)年に大和小学校の校長に就いて以来、帯金(おびかね)小学校、 身延小学校、身延中学校などの校長を務め、義務教育を通して能力のある人材の養成(ようせい)に尽くしました。

昭和24(1949)年3月に退職したのちは、教育のみならず、町政や文化のさまざまな分野で活躍(かつやく)しました。 歴任したおもな役としては、旧大河内村および旧富里村(旧下部町)の教育長、大河内公民館初代館長、青少年相談員、民生委員推薦(すいせん)委員、選挙管理委員および委員長、文化財審議(しんぎ)委員会会長、 町誌編纂常任委員、町民憲章起草(きそう)委員などがあります。 山梨県の社会教育委員も務めました。

鮎川さんはまた剣道有段者(7段)でもあり、昭和54(1979)年5月には全日本剣道連盟(れんめい)より範士(はんし)の称号(しょうごう)を授与されました。 範士というのは、剣道の称号のうちの最高位です。 長年にわたり山梨県剣道連盟の指導者および役員を務め、名誉会長にもなっています。 子どもたちの指導育成にも尽くし、鮎川杯(はい)による奨励(しょうれい)など、スポーツの振興(しんこう)、発展に貢献しました。 昭和52(1967)年に山梨県剣道連盟が発刊した『山梨県剣道史』では、編纂委員長を務めています。

鮎川さんは100歳のご長寿(ちょうじゅ)をまっとうされました。 剣道は、90歳になるまで学生たちに交じって続けていたとのことです。

役職歴・褒章など

昭和14(1939)年、勲(くん)八等瑞宝章(ずいほうしょう)を受章しました。
昭和17(1942)年、勲七等瑞宝章を受章しました。
昭和19(1944)年、従(じゅ)六位に叙位(じょい)されました。
昭和21(1946)年、勲六等瑞宝章を受章しました。
昭和42(1967)年、山梨県教育功労章を授章しました。
昭和43(1968)年、全日本剣道連盟剣道普及振興功労者として表彰されました。
昭和44(1969)年、勲五等瑞宝章を受章しました。
昭和53(1978)年、身延町教育文化特別功労章を受章しました。
平成4(1992)年、身延町名誉町民に推戴(すいたい)されました。



関連資料
貸出可 身延町立図書館にある資料です。
貸出ができます。
館内閲覧 身延町立図書館にある資料です。
貸出はできませんが、
館内で閲覧することができます。
貸出可 ■身延町誌編集委員会[編]
身延町誌
身延町役場
1970(昭和45)年1月
●第十六編「町民の記録」「李健公妃の疎開」(鮎川省三)
館内閲覧 山梨県剣道史 山梨県剣道連盟
1977(昭和52)年5月
●私の剣道回顧●あとがき(巻頭に鮎川さんの写真掲載)
館内閲覧 広報みのぶ 第321号 身延町役場
1992(平成4)年3月
●身延町名誉町民に鮎川省三氏(鮎川さんの写真、略歴と功績)

【このページの参考文献・資料】

『広報みのぶ 平成4年3月号(第321号)』(身延町役場) 『山梨県剣道史』(山梨県剣道連盟)

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