類型的なお話のこと - 蜘蛛淵 くもんぶち
こんなお話
舞台(ぶたい)は川や滝(たき)などの淵(ふち)になった場所です。そこの水辺で釣(つ)りをしたり休んでいたりすると、淵から大きな蜘蛛(くも)が出てきて、糸を足に結(ゆ)わえつけ淵へ戻(もど)って行く。それを何度も繰(く)り返すので、不審(ふしん)に思ってとっさに、自分の足に結わえつけられた糸の束(たば)を近くにある大木(たいぼく)の幹(みき)につけかえます。すると、淵の中から聞こえてきた掛(か)け声とともに、大木は見る見る淵のなかへ引きずり込まれて行った─
お話のパターン
このお話は、東日本、西日本ともにあらゆる地域に伝わっていて、さまざまな淵の名前で呼ばれています。身延町に伝わるお話では淵の呼び名が「蜘蛛淵」なので、ここではこの類型を「蜘蛛淵」と呼ぶことにしています。
淵に近づいた理由が釣りだったり休憩(きゅうけい)だったりと、多少のバリエーションがあります。また、淵に引きずり込むときに掛け声がある場合には、それぞれに違った掛け声のパターンがあって興味深いところです。しかし「蜘蛛が何度も淵と岸辺を往復しては糸をくくりつけ」「糸をつけられた人はその糸を別のものにつけかえ」「糸がある太さまで達したところで蜘蛛は一気に淵に引き込む」という部分は、見事なまでに共通しています。
日本各地の例のうち代表的なものに、宮城(みやぎ)県仙台(せんだい)市に伝わる「賢淵(かしこぶち)」があります。大木が引き込まれたあとに、淵のなかから「賢(かしこ)い、賢い」という声が聞こえた、そこから賢淵と呼ばれるようになった、という内容です。
触らぬ神に祟りなし
水は生活や農耕(のうこう)に欠くことのできない大切なものであり、日照りや洪水(こうずい)の恐ろしさを知っていた昔の人々は、水神(すいじん)への畏怖(いふ)の念を抱(いだ)いていました。水神の怒りを買うこと、それを何よりも畏(おそ)れていたのです。
旧下部町の「蜘蛛淵」は、もともと地元の村々の雨乞(あまご)いのための淵として、むやみに踏(ふ)み入(い)ってはならない場所とされていました。そこに入ってしまった男が恐ろしい目に遭(あ)う─つまりは、「蜘蛛淵へは決して足を踏み入れてはならない」という戒(いまし)めを、こういうお話のかたちで子どもたちに語り聞かせていたのでしょう。
政親淵
旧下部町にはもうひとつ、「政親淵(まさちかぶち)」というお話があります。蜘蛛は登場しないので「蜘蛛淵」ではないのですが、同類のお話と考えてよさそうです。「政親淵」の「河童(かっぱ)がいるから近づくな」にしても、「蜘蛛に引きずり込まれるから近づくな」にしても、神聖な場所、危険(きけん)な場所だったり、大切に保(たも)ちたい水源(すいげん)だったり、そういう場所から子どもを遠ざけるといった、何かしらの目的があったと考えられます。
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