横手(よこて)の政親(まさちか)さんは長塩(ながしお)へ祇園(ぎおん)祭りに招(まね)かれて行っていたが、その日はいつになく暑く汗が流れでるような日だった。今の紙屋橋の下に、古関川(ふるせきがわ)の水が岩に激突(げきとつ)し青く澄(す)んだ底知れぬ深い淵があった。政親さんは裸(はだか)になるやいなやこの淵へ飛びこんでそのまま姿が見えなくなり、しばらくして下手(しもて)の太郎石に死体となって漂着(ひょうちゃく)したので村中(むらじゅう)大騒(さわ)ぎとなった。
昔からその淵には河童(かっぱ)がいて人を引きずり込むといわれていたのだが、部落の違(ちが)う政親さんは知らなかったのだ。うわさが事実となって証明されたので、その淵を「政親淵」と呼んで近よる人もないようになった。
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