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街道のようす
〜町内の宿と街道沿いの史蹟〜


かいどうのようす
〜ちょうないのしゅくとかいどうぞいのしせき〜
[鰍沢町箱原〜西嶋 | 手打沢〜切石 | 八日市場〜飯富 | 下山 | 身延〜榧の木峠]

身延から町境までのルート身延からから榧の木峠まで


身延山道

 下山の南端の阿手古沢(あてござわ)から、みのぶみちは右手の山道に入ります。 杉山(すぎやま)の集落内を通り、1.5kmほどで一里松に出ます。 一里松から2kmほど南西の新宿(しんしゅく)の集落を過ぎると、久遠寺(くおんじ)への分岐(ぶんき)に出ます。 右に行くと久遠寺で、河内路は左を行き、身延宿へ至ります。

1産児神(さんごじ) 安産を祈願して柄杓(ひしゃく)の底をぬいて奉納する風習が、今に伝わっています。

2姥子(うばこ)の石造物群 大杉の根元の泉には、日蓮聖人が湧出(ゆうしゅつ)させたという伝説があります。 近くに天保2(1831)年の五百五十遠忌(おんき)碑(ひ)などの石造物もあり、旅人の休憩(きゅうけい)所として利用されていたところです。

3一里松(いちりまつ) 昔は数本の巨松(おおまつ)が立っていました。 下山の「松の木下」より一里の地点です。

4清正公堂(せいしょうこうどう) 文化年間(1804〜17)に建立(こんりゅう)された南谷教泉坊を、文政年間(1818〜29)に逕泉坊(きょうせんぼう)境内(けいだい)に再建したものです。 町指定文化財(昭和41年)です。

身延

 久遠寺の門前町として近世中期ごろから繁栄してきた宿場町です。 身延川手前の分岐を右折すると久遠寺への表参道です。 河内路は左へ行き、宿場を通って身延山総門に出ます。

5日蓮聖人御草庵(ごそうあん)跡 文永11(1274)年、日蓮聖人は鎌倉(かまくら)を発ち、波木井実長(はきい・さねなが)の庇護(ひご)のもとに、ここに草庵を結びました。 弘安5(1282)年に常陸国(ひたちのくに=茨城県北東部)へ発つまでの9年間、日蓮聖人の生活の本拠(ほんきょ)だったといわれます。 県指定史跡です。

6身延山久遠寺 日蓮宗総本山。 日蓮聖人が西谷に草庵を結んだのが久遠寺の始まりで、十一世日朝(にっちょう、1422〜1500)が西谷から現在の場所への移転拡張と伽藍(がらん)の整備を行ない、文明7(1475)年にほぼ完成しました。 その後門前町が形成され、江戸時代には日蓮宗の総本山として参詣客(さんけいきゃく)で栄えました。

7身延山総門 寛文5(1665)年建立、寛保元(1741)年改修の、欅(けやき)づくりで瓦(かわら)ぶき屋根の四脚門(よつあしもん)です。 高さ9.35m、間口は6.36m、町の指定文化財です。

身延から町境まで

 身延山総門からしばらく南に下った地点で旧道は、現在の国道の西側の20〜30m高いところを通っていました。 大城(おおじろ)川と相又(あいまた)川の合流地点では、大城川を500mほど遡(さかのぼ)ってから対岸へ渡っていました。 国道に戻った後、正慶寺(しょうけいじ)橋で相又川の対岸へ渡り、平橋付近で再び相又川を渡りました。
 坂本の集落の手前で再び右岸へ渡り、集落を斜めに通り抜けて山に入り榧(かや)の木峠へ達し、榧ノ木トンネル出口の上で国道を越えて横根実教寺を通り、さらに林道を下って現在の南部町へと抜けていました。

8鏡円坊(きょうえんぼう) 波木井長氏(さねうじ=実長の孫)の二男日台により、波木井実長の館跡に創立されたと伝えられています。 本堂裏の斜面には、樹齢(じゅれい)400〜500年といわれる県指定天然記念物のサクラの木があります。

9大石山正慶寺(しょうけいじ) 正応3(1290)年創立。 身延入山の際にここで一休みした日蓮聖人に粟飯(あわめし)を供(きょう)したという伝説があり、「粟飯寺」とも呼ばれています。

10榧(かや)の木峠 本来の名は石仏嶺といい、『?語彙集斐国志(かいこくし)』にも「相又・横根・中村ノ間ニ在リ、一名ハ榧樹嶺、コレハ本名ニ非ズ、行人ノ呼ビシ名ナリト云フ」との記述があります。 相又坂本の峠入口にカヤノキの古木があったことから、こう呼ばれるようになりました。 日蓮聖人がここで休憩した際に地面に挿したカヤの木の杖が芽吹き、大木になったという言い伝えがあります。 現在の木は二代目です。

11桜清水(さくらしみず) 実教寺(じっきょうじ)前にある泉。 日蓮聖人の身延入山の際の伝説によると、ここで休んだ日蓮聖人が泉の水を飲んだ後、桜の杖を立てたらそれが桜の木になったといいます。 そこから桜清水と呼ばれるようになりました。
(「街道のようす〜町内の宿と街道沿いの史蹟」おわり)

【参考文献・資料】

『山梨県歴史の道調査報告書第七集 河内路・西郡路』(山梨県教育委員会) 『山梨県歴史の道調査報告書第十六集 東河内路』(山梨県教育委員会) 『中富町誌』(中富町誌編纂委員会) 『身延町誌』(身延町誌編纂委員会) 『山梨百科事典 増補改訂版』 (山梨日日新聞社)

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