仕来を相振義定違変押掠軒別出入 文政14年(1817) 5/8

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【解読文】

 ニ付中町百姓代周右衛門新町百姓代縫右衛門両人江扱之儀
 仰付候右両人立入扱被下候趣者竹下町番匠小路と先達
 案内争ひ之儀ニ候間燈籠壱本ヅツ右左ニ相立来ル丑之
 七月十七日ニ者両先達案内之由ニ取扱被下候故任其意外
 町々茂不残致承知双方縺合無之相済候處又候当五
 月ニ至り御田地任附最中不時成異論企村役元之
 仰付ヲ茂致違変両百姓代之扱口をも相背き番匠
 小路彦五郎を始頭取之者右済口不承知之由ニ申出候得共一応
 相済候事故申分無之趣ニ竹下町並ニ両百姓代より挨拶いたし
 捨置申候間右頭取之者勘弁ニ致当惑種々工を以難題
 申募り候得共理分立兼候ニ付遺恨を含ミ外六町江荷擔
 を頼徒党を組六月九日之夜ニ至り番匠小路番匠小路忠蔵佐兵衛
 頭取ニ而六町之者差添町々之名前印候挑灯携来り
 大勢ニ而自今以後軒別之由被申候間竹下町内驚入軒
【読み下し文】

 に付き中町百姓代周右衛門新町百姓代縫右衛門両人へ扱いの儀
 仰せ付け候右両人立入扱い下され候趣は竹下町番匠小路と先達
 案内争いの儀に候間燈籠壱本ずつ右左に相立て来る丑の
 七月十七日には両先達案内の由に取扱い下され候故その意に任せ外
 町々も残らず承知致し双方縺れ合いこれ無く相済み候処又候当五
 月に至り御田地任附け最中時成らず異論企て村役元の
 仰付けをも違変致し両百姓代の扱い口をも相背き番匠
 小路彦五郎を始め頭取の者右済み口不承知の由に申し出候えども一応
 相済み候事故申分これ無き趣に竹下町並に両百姓代より挨拶いたし
 捨置き申し候間右頭取の者勘弁に当惑致し種々工みを以て難題
 申募り候えども理分立ち兼ね候に付き遺恨を含み外六町へ荷擔
 を頼み徒党を組み六月九日の夜に至り番匠小路番匠小路忠蔵佐兵衛
 頭取にて六町の者差し添え町々の名前印し候挑灯携え来り
 大勢にて自今以後軒別の由申され候間竹下町内驚き入り軒

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