- 浅川伯教・巧 【あさかわ・のりたか・たくみ】
- 甲村(現北杜市高根町)の生まれ。 兄の伯教(1884-1964)は彫刻(ちょうこく)家、陶磁(とうじ)評論(ひょうろん)家。 とりわけ朝鮮(ちょうせん)半島の陶磁器研究家として知られる。 同じく朝鮮陶磁の評論家である弟の巧(1891-1931)は伯教から大きな影響を受けた。
- 円空 【えんくう】
- 1632-95。 天台宗(てんだいしゅう)の僧で美濃(みの=岐阜県)の人。 関東、東北、北海道など諸国を行脚し(あんぎゃ)、12万体造像を祈願(きがん)し、多くの仏像を遺した。 鑿(のみ)による素朴(そぼく)な荒彫(あらぼ)りを特徴とする仏像は円空仏と呼ばれ、しばしば木喰仏と同時に語られる。
- 応其 【おうご】
- 1536-1608。 安土桃山(あづちももやま)時代の真言宗(しんごんしゅう)の僧。 近江(おうみ=滋賀県)の人。 高野山(こうやさん)で出家(しゅっけ)し、金堂(こんどう)の再建など高野山の再興(さいこう)に努めた。 京都大仏殿の造営に関与。 木食応其とも呼ばれる。
- 甲斐国志 【かいこくし】
- 甲斐国の地誌を記した全71冊からなる文書。 文化3年(1806)、江戸幕府(ばくふ)の命を請(う)けた当時の甲府勤番(きんばん)支配松平定能(まつだいら・さだまさ)により編纂(へんさん)が開始、およそ10年の年月をかけ完成された。 各村ごとに人口・地理・産業・史蹟(しせき)・寺社・人物などが仔細(しさい)に調査されており、山梨の歴史を知る際に欠かすことのできない貴重な資料とされている。
- 教安寺 【きょうあんじ】
- 甲府市城東一丁目にある浄土宗寺院。 甲福山安栖院と号し、1504(永正1)年、便誉提椿の創建。 もと京都智恩院の末寺、境内9,900平方メートル、子院14院、末寺とし14カ寺を有し、甲府浄土五山(瑞泉寺、誓願寺、教安寺、来迎寺、尊躰寺)の一つ。 甲州における最初の浄土宗道場と伝え、境内に徳川家康第8子仙千代の墓がある。(『山梨百科事典より』)
- 甲府空襲 【こうふくうしゅう】
- 太平洋戦争も終結に近い1945(昭和20)年7月6日午後11時53分、米軍B29の131機(米軍記録)の編隊が静岡方面から山梨県に侵入し、7日午前2時ごろまで約2時間にわたって油脂焼夷弾を投下した。 まず愛宕山を真昼かと思わせる照明弾の光で包み、次いで北部一帯に火の波があふれたかとみる間に、たちまち市心に移り、全市が火の海と化した。この空襲で全市面積の三分の二が焼失、1万8,094戸、8万6,913人が被災。 死者・行方不明者1,127人(男499,
女628=1974年、甲府市集計)、重軽傷者多数の犠牲を出した。(『山梨百科事典より』)
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