木喰上人

語彙集

ごいしゅう
[仏像・造像に関することば | 仏教に関することば | 人物・歴史など]

仏像・造像に関することば

一木造・寄木造 【いちぼくづくり・よせぎづくり】
ともに木彫りの仏像を造る方法。
一木造は古来からの造法で、一本の木から仏像の全体像を彫り出したもの。
これに対し、寄木造は別々の木材から頭・胴(どう)・腕(うで)などのパーツを造り、ひとつに組み合わせた もので、平安時代中ごろから発達し、11世紀の仏師(ぶっし)定朝(じょうちょう)が完成させたといわれる。  大きな像を造ることや分業も可能なため、この方法が多く使われるようになった。 そのため頭と胴が一本 の木から造られていれば、腕や脚(あし)、衣などが別材の場合でも一木造と呼ぶことが一般的になっている 。
開眼 【かいげん】
新しく造った、または修復が終わった仏像や仏画(ぶつが)に魂(たましい)を入れること。 そのための法要(ほうよう)を開眼供養(くよう)、開眼式などという。 入眼(じゅがん・じゅげん・にゅうがん)ともいう。
子安観音 【こやすかんのん】
安産と幼(おさな)い子どもを守る観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。
七観音 【しちかんのん】
台密(たいみつ)ではに聖(しょう)観音・千手(せんじゅ)・馬頭(ばとう)・十一面・不空羂索(けんさく)・如意輪(にょいりん)の六観音、東密では不空羂索の代わりに准胝(じゅんてい)を加え六観音としており、双方を合わせたものを七観音という。 六観音とは、六道(ろくどう=地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)に迷(まよ)う衆生(しゅじょう)を救う6種の観音菩薩(ぼさつ)のこと。 台密・東密→密教
十二神将 【じゅうにしんしょう】
薬師如来(やくしにょらい)および薬師経(やくしきょう)を行ずる人を守護(しゅご)する12の眷属(けんぞく)。 眷属とは仏や菩薩(ぼさつ)に従(したが)う者のこと。
十六羅漢 【じゅうろくらかん】
羅漢(=阿羅漢・あらかん)とは、悟(さと)りを得た聖者(しょうじゃ)のこと。 おもに禅宗(ぜんしゅう)で羅漢図や像が造られた。
内仏 【ないぶつ】
家庭において、仏壇(ぶつだん)などに安置し信仰(しんこう)する仏像。
仏師 【ぶっし】
仏像を造る工人(こうにん)のことで、飛鳥(あすか)時代からの名称(めいしょう)。
本尊 【ほんぞん】
礼拝(らいはい)の中心としてまつられる仏や菩薩(ぼさつ)像などのこと。
薬師三尊 【やくしさんぞん】
薬師如来(やくしにょらい)を中心に、脇侍(きょうじ)として左に日光菩薩(にっこうぼさつ)、右に月光菩薩(がっこうぼさつ)を配した三尊のこと。
薬師如来 【やくしにょらい】
東方浄瑠璃(じょうるり)世界の教主。 12の大願(たいがん)を立て成仏(じょうぶつ)したとされ、病気に苦しむ衆生(しゅじょう)を救うとされる。 大日(だいにち)・釈迦(しゃか)などの仏と同体とされる説もある。 日光(にっこう)・月光(がっこう)の両菩薩(ぼさつ)を脇侍(きょうじ)、十二神将(じゅうにしんしょう)を眷族(けんぞく)とする。
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仏教に関すること

行脚 【あんぎゃ】
修行(しゅぎょう)のために僧が諸国を巡(めぐ)り歩くこと。 おもに禅宗(しゅぎょう)でのことをいう。
位牌 【いはい】
死者の霊(れい)を祀(まつ)るために、戒名(かいみょう)を記して仏壇(ぶつだん)に安置する木の札(ふだ)。 儒教(じゅきょう)に由来(ゆらい)し、禅宗(ぜんしゅう)とともに中国から伝わり、江戸時代に一般化した。
【おい】
修験者(しゅげんじゃ)や行脚僧(あんぎゃそう)が仏具や衣類などを入れて背負う、脚(あし)のついた箱。
回国・廻国 【かいこく】
諸国の札所(ふだしょ)を参拝(さんぱい)して巡(めぐ)り歩くこと。 六十六部(ろくじゅうろくぶ)ともいう。 回国巡礼(じゅんれい)。
加持 【かじ】
病気や災難(さいなん)から救われることを願って、神や仏のご加護(かご)を祈ること。
【こう】
信仰(しんこう)により結びついた集団で、特定の寺院の檀徒(だんと)や神社の氏子(うじこ)によるものや、近隣(きんりん)社会につくられたものなど、さまざまな形態がある。 講中(こうちゅう)とは、講の仲間のこと。
参籠 【さんろう】
寺院や神社になどに、一定の期間籠(こも)って祈願(きがん)、修行(しゅぎょう)をすること。 おこもり。
四国八十八箇所 【しこくはちじゅうはっかしょ】
四国にある弘法大師(こうぼうだいし)の霊場(れいじょう)。 四国出身の弘法大師にちなみ、88の札所が定められ、巡礼(じゅんれい)のための聖地となっている。
私度・得度 【しど・とくど】
律令制(りつりょうせい)において、官(かん)の許可を得ずに出家(しゅっけ)することを私度、許可を得て出家することを得度という。 得度僧となった者は課役(かやく)を免除(めんじょ)された。 得度の本来の意味は悟(さと)りを得て彼岸(ひがん)へ渡ること。
錫杖 【しゃくじょう】
僧や修験者(しゅげんじゃ)の持つ、頭部にいくつかの環がついた杖(つえ)。
浄財 【じょうざい】
寺院などに寄付(きふ)するお金。
真言宗 【しんごんしゅう】
9世紀初めに入唐(にっとう)した空海(くうかい=弘法大師)が、恵果(けいか)から学んだ密教(みっきょう)を基(もと)に開いた一宗派。  大日如来(だいにちにょらい)を教主とする。
曹洞宗 【そうとうしゅう】
禅宗(ぜんしゅう)の一派で、鎌倉(かまくら)時代に道元(どうげん)により日本にもたらされた。 永平寺(えいへいじ=福井県)と総持寺(そうじじ=横浜市鶴見区)を大本山とする。
托鉢 【たくはつ】
修行僧(しゅぎょうそう)が鉢(はち)を持って歩き、米や金銭(きんせん)などの布施(ふせ)を受けて回る修行。 乞食(こつじき)。
鼠衣 【ねずみごろも】
僧尼(そうに)が着る衣服で、ねずみ色の粗末(そまつ)なもの。
納経 【のうきょう】
追善供養(ついぜんくよう)、祈願(きがん)などのために書き写した経文(きょうもん)を、寺社や霊場(れいじょう)に納めること。 追善供養とは、死者の冥福(めいふく)を祈るための供養のこと。
札所 【ふだしょ】
巡礼(じゅんれい)の人が霊場(れいじょう)を参詣(さんけい)したしるしに札(ふだ)を受けたり、納めたりする寺院などの場所。 四国八十八箇所、日本百観音(西国三十三所、坂東三十三所、秩父三十四所)などがある。
遍路 【へんろ】
祈願(きがん)のために、四国八十八箇所(しこくはちじゅうはっかしょ)の霊場(れいじょう)を巡(めぐ)り歩くこと。
菩提寺 【ぼだいじ】
先祖代々(せんぞだいだい)の遺骨(いこつ)を安置し、葬儀(そうぎ)や供養(くよう)を行ない、死者の冥福(めいふく)を祈る寺のこと。 檀那寺(だんなでら)。
末寺 【まつじ】
本山(ほんざん)の支配下にある寺。
密教 【みっきょう】
「大日経(だいにちきょう)」「金剛頂経(こんごうちょうきょう)」などを経典(きょうてん)とし、大日如来(だいにちにょらい)を本尊(ほんぞん)とする仏教の流派のひとつ。 インドからチベット、中国、日本などに伝わった。 日本では真言宗(しんごんしゅう)系の東密(とうみつ)と天台宗(てんだいしゅう)系の台密(たいみつ)がある。
遊行僧 【ゆぎょうそう】
諸国を巡り(めぐ)歩く僧のこと。 遊行聖(ひじり)、遊行上人(しょうにん)ともいう。
霊夢 【れいむ】
神仏が現われ、お告げをする不思議な夢。
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人物・歴史など

浅川伯教・巧 【あさかわ・のりたか・たくみ】
甲村(現北杜市高根町)の生まれ。 兄の伯教(1884-1964)は彫刻(ちょうこく)家、陶磁(とうじ)評論(ひょうろん)家。 とりわけ朝鮮(ちょうせん)半島の陶磁器研究家として知られる。 同じく朝鮮陶磁の評論家である弟の巧(1891-1931)は伯教から大きな影響を受けた。
円空 【えんくう】
1632-95。 天台宗(てんだいしゅう)の僧で美濃(みの=岐阜県)の人。 関東、東北、北海道など諸国を行脚し(あんぎゃ)、12万体造像を祈願(きがん)し、多くの仏像を遺した。 鑿(のみ)による素朴(そぼく)な荒彫(あらぼ)りを特徴とする仏像は円空仏と呼ばれ、しばしば木喰仏と同時に語られる。
応其 【おうご】
1536-1608。 安土桃山(あづちももやま)時代の真言宗(しんごんしゅう)の僧。 近江(おうみ=滋賀県)の人。 高野山(こうやさん)で出家(しゅっけ)し、金堂(こんどう)の再建など高野山の再興(さいこう)に努めた。 京都大仏殿の造営に関与。 木食応其とも呼ばれる。
甲斐国志 【かいこくし】
甲斐国の地誌を記した全71冊からなる文書。 文化3年(1806)、江戸幕府(ばくふ)の命を請(う)けた当時の甲府勤番(きんばん)支配松平定能(まつだいら・さだまさ)により編纂(へんさん)が開始、およそ10年の年月をかけ完成された。 各村ごとに人口・地理・産業・史蹟(しせき)・寺社・人物などが仔細(しさい)に調査されており、山梨の歴史を知る際に欠かすことのできない貴重な資料とされている。
教安寺 【きょうあんじ】
甲府市城東一丁目にある浄土宗寺院。 甲福山安栖院と号し、1504(永正1)年、便誉提椿の創建。 もと京都智恩院の末寺、境内9,900平方メートル、子院14院、末寺とし14カ寺を有し、甲府浄土五山(瑞泉寺、誓願寺、教安寺、来迎寺、尊躰寺)の一つ。 甲州における最初の浄土宗道場と伝え、境内に徳川家康第8子仙千代の墓がある。(『山梨百科事典より』)
甲府空襲 【こうふくうしゅう】
太平洋戦争も終結に近い1945(昭和20)年7月6日午後11時53分、米軍B29の131機(米軍記録)の編隊が静岡方面から山梨県に侵入し、7日午前2時ごろまで約2時間にわたって油脂焼夷弾を投下した。 まず愛宕山を真昼かと思わせる照明弾の光で包み、次いで北部一帯に火の波があふれたかとみる間に、たちまち市心に移り、全市が火の海と化した。この空襲で全市面積の三分の二が焼失、1万8,094戸、8万6,913人が被災。 死者・行方不明者1,127人(男499, 女628=1974年、甲府市集計)、重軽傷者多数の犠牲を出した。(『山梨百科事典より』)
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