身延の民話




【地区】
久那土
旧下部町
久那土地区

【ジャンル】
不思議
不思議

【出典】 『下部町誌』 (下部町誌編纂委員会 1981)
お地蔵渕
 おじぞうぶち
 切房木(きりふさぎ)の岩船(いわふね)地蔵堂(じぞうどう)の屋敷(やしき)は、昔は川向こうまで届いて高さも今の何倍とあり、奥は湖水(こすい)になっていた。いつのころか大地震(おおじしん)でこの堤(つつみ)が崩(くず)れ、わずかに残った岩に磯川(今の三沢川)が激突(げきとつ)して巴(ともえ)のようなうずを巻いたので巴渕とよんでいた。

 底の岩の根には河童(かっぱ)が住んでいた。村の人寄りの時には膳椀(ぜんわん)の準備など頼むと、膳椀をそろえて貸してくれたが、ある時、お膳を一枚しまいこんで返さなかった人がいたので、河童は怒って、それ以来貸さなくなったという。

 その人は悔(く)いて謝罪(しゃざい)のしるしにその膳に商売道具のノミを一丁(ちょう)載(の)せて返したがききめはなかった。3日目の朝、鴨狩(かもがり=現市川三郷町)の高前寺(こうぜんじ)の渕にその膳が浮いていたことから、初めて巴渕の洞穴(ほらあな)が高前寺の渕へ通じているものとわかり、切房木村の人々はかたくそれを信じていた。

 享保(きょうほう)4年下野国(しもつけのくに)岩舟(いわふね)村から地蔵尊(じぞうそん)を勧請(かんじょう)してここにまつったので以来巴渕をお地蔵渕とよんでいる。

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