身延の民話




【地区】
久那土
旧下部町
久那土地区

【ジャンル】
由来
由来

【出典】 『下部町誌』 (下部町誌編纂委員会 1981)
デードブチ
 でーどぶち
 何百年か昔のこと。ある時のこう水で車田(くるまだ)法円寺の下の渕(ふち)へ大きな太鼓(たいこ)の胴(どう)が流れついたので、名主(なぬし)六左衛門(ろくざえもん)が拾い上げ、新しく革(かわ)を張りかえて法円寺へ納めた。寺では毎日、勤行(ごんぎょう)、時報、村人召集(しょうしゅう)等にこの太鼓を使っていた。

 その後樋(ひ)の沢奥の共有地を開墾(かいこん)することになり、村人は太鼓を合図に幾日(いくにち)もかかって広い面積のアラクを完成した。そのころは小坂の山岸一体は一面沼だった。

 翌年、大きな集中豪雨(ごうう)があって、アラクはことごとく流れ、その土砂(どしゃ)で今まで何の取柄(とりえ)もなかった沼は一朝(いっちょう)にして美田(びでん)と化した。村人達は太鼓と深い因縁(いんねん)があろうかと感謝して、太鼓の漂着した所をデードブチ(大胴渕)と呼んでいるが、その太鼓の方はどうなってしまったのかわからない。

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