身延の民話




【地区】
西嶋
旧中富町
西嶋地区

【ジャンル】
神仏
神仏

【出典】 『ふるさと中富のはなし』 (ふるさと中富のはなし編集委員会 2004)
お薬師さまと願かけ
 おやくしさまとがんかけ
 西嶋(にしじま)の西町に接する丘陵(きゅうりょう)地の一帯の地名は、「薬師堂(やくしどう)」となっていて、その丘陵の始まる初沢川のたもとに、小さなお堂が建っている。このお堂が「薬師堂」で、地名はここからきている。昔は藁葺(わらぶ)きで、今よりずっと大きなお堂だったが、初沢川の大規模(だいきぼ)改修(かいしゅう)工事が行われたのちに、建て替(か)えられた。

 お堂のなかには、石造りで、赤い頭巾(ずきん)をかぶり、腹掛(はらが)けや白い法衣(ほうえ)をまとい、何枚も重ねた座布団(ざぶとん)の上に、二対(につい)の仏像が鎮座(ちんざ)している。頭巾や法衣、座布団などは、すべて、「願(がん)」かけをしにきた人たちが作って納(おさ)めたもの。そして村人は、古くからお薬師(やくっ)さまと、親しみをこめて呼び習わしてきた。

 薬師如来(にょらい)といえば、病気などに苦しむ人々を救う仏様とされているが、地元では、このお薬師さまに願をかけて、その願い事が叶(かな)えられるときには、その尊像(そんぞう)を抱(だ)き上げれば軽く上がると言い伝えられてきた。

 やめえ(病気)や、ええまち(ケガ)が早く治(なお)るようにとか、楽にお産(さん)がすむようにとか、また失(な)くし物が早く見つかるようにとかいった、村人たちのさまざまな悩みや心配事を聞き分けてくれる身近な仏様として、親しみをもって崇敬(すうけい)してきている。

 二体の仏様のうちの一体は、脇侍(わきじ)で、かつてこの村に住んでいた、ある熱心な崇敬者によって納められたものとのことである。そしてこれには、いわれがある。

 村のなかに、器量(きりょう)よしの二人姉妹のいる家があった。娘(むすめ)たちの両親は、姉娘に婿(むこ)をとらせて家をつがせるつもりでいたところ、身ごもってしまった。思い余って姉娘は、ことのいきさつを両親に打ち明け、結婚の許しをこうた。親たちは娘の話にびっくりし、なおも聞くと、相手の若者は長男だという。長男と長女どうしでは結婚はさせられないと、親は許そうとしなかった。

 しかし娘の粘(ねば)り強い懇願(こんがん)に、親たちも最後には折れ、結婚を許す条件として、お薬師さまに、生まれてくる子供の安産と、生まれる予定の日時の願をかけて、それが叶えられたら許してやろうということになった。

 それからというもの、娘の母親はお薬師さまへ日参(にっさん)を続け、予定日を待った。すると不思議(ふしぎ)なことに願をかけたまったく同じ日の、同じ時刻に、元気な男の児を無事に出産した。両親は、これはまさしくお薬師さまのあらたかな霊験(れいけん)のしるしと、畏敬(いけい)の念をいっそう深め、安産を祝(いわ)い、約束通り二人の結婚を許すこととなった。

 このことがあってから、一家はお薬師さまを誰よりも篤(あつ)く崇敬し、両親が亡(な)くなり、嫁いだ娘たちが遠方(えんぽう)に住むようになってからも、お詣(まい)りを欠かさなかったそうである。そして先の脇侍の仏様も、その親子の寄進(きしん)によるものだといわれている。

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