身延の民話




【地区】
静川
旧中富町
静川地区

【ジャンル】
言い伝え
言い伝え

【キーワード】
武田信玄
武田信玄
【出典】 『ふるさと中富のはなし』 (ふるさと中富のはなし編集委員会 2004)
権現さんの手洗石
 ごんげんさんのてあらいいし
 旧静川(しずかわ)村寺沢雁木(がんぎ)。富士川の流れが菅沼(すがぬま)城趾(じょうし)の脚下(きゃっか)を洗うところ、この通称(つうしょう)権現(ごんげん)さんの崖下(がいか)に突(つ)き出た一枚岩(いちまいいわ)の大石があって、手洗石(てあらいいし)、またの名を洗濯石(せんたくいし)と呼ばれていた。

 頭上(ずじょう)には現在、中富中学校が建てられているが戦国時代、武田氏の頃は「烽火(のろし)台」でもあった。

 当時武田信玄(たけだ・しんげん)公(こう)は、駿河(するが)方面の敵に備(そな)えるため、日蓮宗(にちれんしゅう)の本山身延山(ものぶさん)に城を構えようとしたが、宗門(しゅうもん)は固く譲(ゆず)らないので、身延山征伐(せいばつ)を決意して元亀(げんき)3(1572)年、自ら軍を率いて向かったのであるが、あいにく早川の出水で渡れなかったし、また戦いも意の如(ごと)くならなかったので身延山征伐を断念して甲府に引き返す途中(とちゅう)、八日市場(ようかいちば)に少憩(しょうけい)し切石(きりいし)まで来ると、俄(にわ)かに歯痛(しつう)を覚えて苦しんだ。この雁木の富士川に面した崖(がけ)道の登り口には、白山(はくさん)権現が祀(まつ)られており、歯痛に霊験(れいげん)あらたかであると知って、公は富士川の流れで身を浄(きよ)め祈願(きがん)なされた。その時、公がこの一枚岩の上で戦塵(せんじん)を洗い落としたところから、手洗石と名づけられたという。また、歯痛が治癒(ちゆ)したところから、白山は「歯苦山」の意もあるといわれ、歯痛止めの神として信仰(しんこう)を集めたとのことである。

 なお、この峰(みね)はさきに信玄公の家臣(かしん)依田(よだ)氏の館で、後に菅沼氏がおさめ、武田家由縁(ゆえん)の史蹟(しせき)の地である。また、この一枚岩は、のろし台の兵が常々(つねづね)崖道を下って洗濯したところから、洗濯石とも伝えられている。

 それに洗濯石付近の岸壁(がんぺき)には、ほぼ一直線に小さな穴が幾(いく)つもあり、舟運(しゅううん)時曳(ひ)き舟の桟橋(さんばし)の跡(あと)と言われていた。

 大正5(1916)年頃は、本瀬(ほんせ)はこの権現さんの崖下を洗い、洗濯石は川瀬に突き出ていた。ところが、昭和4(1929)年、上流に月見橋が架(か)けられてから河身(かしん)は対岸にうつり、この石は水中に没(ぼっ)した。その後、台風被害(ひがい)により白山権現も下の国道脇(わき)に下し、昭和41(1966)年、国道52号線の拡幅(かくふく)工事の際、廃土(はいど)によって洗濯石は埋(う)め尽(つ)くされ、元の崖道も惜(お)しくも削(けず)り取られてしまったのである。

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