身延の民話




【地区】
静川
旧中富町
静川地区

【ジャンル】
自然
自然

【キーワード】
日蓮聖人
日蓮聖人
杖立伝説
杖立伝説
【出典】 『中富町誌』 (中富町誌編纂委員会 1971)
年越の松
 としごしのまつ

 切石(きりいし)の深立山(じんりゅうざん)善妙寺(ぜんみょうじ)の境内(けいだい)に、『年越(としごし)の松』がある。

 日蓮聖人(にんちれんしょうにん)が、布教(ふきょう)の途次(とじ)、切石の善妙寺に泊(と)まられたときのことである。その日はちょうど立春の前夜、つまり節分の日であったので、聖人手ずから節分会(え)の豆まきをなされ、近隣(きんりん)の参詣(さんけい)の多数の善男善女(ぜんなんぜんにょ)は良い年を迎(むか)えることができたという。

 そのとき聖人は、境内の中央に記念の松をお手植えになったので、この松を、年越しの日に植えた松、つまり『年越の松』と呼ぶようになったと伝えている。

 また、聖人がついてきた松葉杖(まつばづえ)を境内に突き刺(さ)しておいたものが成長したところから、その松は下山(しもやま)・上沢寺(じょうたくじ)の『さかさいちょう』と同じく、枝が下に伸びたさかさ松であったとも古老(ころう)はいう。

 これが巨木(きょぼく)となって惜(お)しくも大正十四年に枯(か)れてしまったので、その切り株(かぶ)の上に、当山嗣法(しほう)日証上人(にっしょうしょうにん・第十八代)の書になる「宗祖大士越年之霊松(しゅうそだいしえつねんのれいしょう)」の木碑(もくひ)が立てられており、二代目の松もすでに大木となっている。

 なお境内には数百年の杉の巨木3本があったが、老木のため末枯(うらが)れして、風雨にあえば本堂に倒れる危険があったので、明治8年8月、開運橋の掛(か)け替えの際、時の県令(知事)藤村紫朗(ふじむら・しろう)に願い出て、橋梁(きょうりょう)の投渡木(なげわたしぎ)として使用されたことが当時の古文献(こぶんけん)に残されている。

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