身延の民話




【地区】
身延
旧身延町
身延地区

【ジャンル】
神仏
神仏

【キーワード】
日蓮聖人
日蓮聖人
【出典】 『身延町誌』 (身延町誌編集委員会 1970)
石割稲荷社
 いしわりいなりしゃ
 日蓮聖人(にちれんしょうにん)が身延の地に入山(にゅうざん)された時は、伝えるところによると、雨の日であったという。それで、村人たちは蓑(みの)を聖人に捧(ささ)げ、自分らも着て聖人を案内した。それで山を「みのぶ」─蓑夫(みのぶ)─といい、この村を着蓮(きつ)れの里─蓑を着て連(つら)なって歩いた─というようになったという。

 また、その節、不思議にも山の中腹(ちゅうふく)の大岩石が自然に割れ、その岩の中から白髪(はくはつ)の老人が出てきて聖人を迎(むか)えた。

 聖人は老人に「お身はいずれより」と言葉優しくお尋(たず)ねになった。老人は手を合わせて申すに「私は元来(がんらい)身延の山に住みしもの、今は誰一人として愛してくれる人もないのみならず、追って追われて深い岩屋の中に閉ざされている哀(あわ)れな野生のものでございます」と、正体(しょうたい)を現(あわ)わして申すのであった。そしてなお続けて、「今世(こんぜ)の生物に憐(あわ)れみ深き日蓮聖人、甲斐路(かいじ)に入らせ給(たま)いて、領主波木井(はきい)殿と御対面なさる趣(おもむけ)を拝(はい)し、欣喜躍如(きんきやくじょ)、追いこめられた巌(いわお)を破って出て参りました稲荷大明神(いなりだいみょうじん)の申し子……この世のために一日も早く御開宗(ごかいしゅう)なされますよう……」と申し上げるのだった。

 村人も奇異(きい)な感にうたれて、後にこの地に社(やしろ)を造り老人を神として祀(まつ)った、これが今の石割(いしわり)稲荷社で、神社の前には、左右に割れた大岩石がそのまま現在も残っている。

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