身延の民話




【地区】
大河内
旧身延町
大河内地区

【ジャンル】
神仏
神仏

【出典】 『ふるさと身延 第2集』 (身延町福祉の町づくり推進協議会 1983)
灰土地蔵
 はいつちじぞう
 昔、和田の和田原(わだっぱら)がまだ富士川の河原(かわら)であった頃、和田平馬(へいま)という者が近くの峰(みね)に住み、この河原を何とかして耕地(こうち)に拓(ひら)きたいと苦心していた。

 ある夜、平馬は富士の裾野(すその)の開拓(かいたく)を夢に見て急に思い立ち、和田原の方は後回しにし、先(ま)ず富士の裾野の開墾(かいこん)を始めた。

 しばらくたったある日のこと、家族のことが心配になり、裾野の灰土を藤袋(ふじぶくろ)に入れてかつぎ、一晩(ばん)泊まりで和田に帰って来た。

 和田の地蔵様(じぞうさま)の前まで来るとそこで一休みし、藤袋の土を地蔵様にお供(そな)えして我が家に戻り、家族と楽しく語り合って寝た。

 その夜、にわかに大風が吹いた。翌朝、平馬は起きてみて驚いた。家の庭先から和田原一帯に灰土が散布(さんぷ)され、今まで一面に石ころだった河原は、なんと60センチメートル厚みの客土(きゃくど)に覆(おお)われ、見事な耕地と化(か)していた。

 その後、村人は深く地蔵様の恩に感謝し、灰土地蔵と呼んで毎年盛大(せいだい)な祭りを催(もよお)し、盆(ぼん)踊りやすもう等を奉納(ほうのう)した。

 また、それから和田原の人達は、藤づるをもったいないと言って現在までも農作業に使うことを避(さ)けてきたという。

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