身延の民話



 矢落沢  やおちざわ
 東八代郡の浅利与一という弓の名人が、矢文で八坂(はっさか)の今福伊予守に通信し、矢は二つの峠を越えて八坂に届いた。矢の落ちた所を矢落沢といい、鉄製の矢じりも発掘された。(下部町誌)

【地区・地名】古関(八坂) 【ジャンル】由来 

 弥次右衛門石  やじえもんいし
 破船や溺死といった富士川の水難の多さを見かねた飯富の古屋弥次右衛門が、私費を投じ難所の岩を切り浅瀬をさらう開削をして、水難者を食い止めた。その後、困難な石があれば「弥次右衛門石」と呼び、功績を語り伝えた。(中富町誌)

【同じお話】ふるさと中富のはなし
【地区・地名】原(飯富) 【ジャンル】由来 【キーワード】富士川・屏風岩

 山大尽の山争い  やまだいじんのやまあらそい
 湯之奥(ゆのおく)の門西(もんざい)家と大垈(おおぬた)の鈴木家は西河内領きっての山大尽だったが、境界争いの決着をつけるため「一番鶏が鳴いたら互いの家を出て、行き会った所を境にしよう」と日を決めた。門西家の主人が寝過ごしたので鈴木家の主人は門西家まで来てしまい、門西家の主人は「それは困る」と五丁ほど離れた沢まで押し返し、そこを境とした。この沢を「競り場の沢」「押手沢」と呼んでいる。(富士川谷物語)

【地区・地名】下部(湯之奥) 【ジャンル】由来 

西谷檀林跡の碑
 山と魔(一)  やまとま
 西谷の檀林の学問僧の一人が卒業時の新談義を暗記できず、高座でつかえてしまった。先輩が「忘れたところは飛ばせ」の意で「飛べ」と注意すると、学生は高座から下へひと飛びし、谷へ落ちた。以来あくび沢には魔物が出るようになった。(身延町誌)

【同じお話】富士川谷物語「二人の若い学僧」
【地区・地名】身延(西谷) 【ジャンル】怪異 【キーワード】身延山

 山と魔(二)  やまとま
 仁蔵は大野山のお祭りに行くのを楽しみにしていたが仕事を命じられ、あくび沢で崖から落ちて死んだ。思いを残して死んだ少年は魔物になり、人を惑わした。祠を造って祀ると魔物は害を加えなくなった。(身延町誌)

【同じお話】富士川谷物語「二人の若い学僧」
【地区・地名】身延(西谷) 【ジャンル】怪異 【キーワード】身延山

 ヤンブイ塚  やんぶいづか
 法印が村をうろつき次々と悪事を働いたが、村人は捕えられずにいた。ある晩、山の上で「ドロボー」と大声がして、追われて下って来る者を待ち伏せ捕らえてみたら法印だったので、村人はうっぷんが爆発し殺してしまった。亡骸を埋めた塚は「山伏塚」がなまって「ヤンブイ塚」となった。(下部町誌)

【同じお話】久那土の民話 富士川谷物語「山伏と法印」
【地区・地名】久那土(上田原) 【ジャンル】由来 

毛無山と五老峰の間の大ガレ
 湯之奥の大ガレ  ゆのおくのおおがれ
 湯之奥金山が盛況だった頃、芝居の役者に大変な美女がいた。芝居のあと村人がつけると、三日続けて入沢の奥で消えた。狐狸の仕業だろうと翌日、銃で撃つと役者は消え失せ、大音響とともに真暗闇になった。少しして明るくなると山頂付近に大きな崖ができており、村人は山の神のたたりと恐れたという。(下部町誌)

【同じお話】富士川谷物語「消えた美女役者」 富士川流域を歩いて「かなやま」
【地区・地名】下部(湯之奥) 【ジャンル】不思議 【キーワード】湯之奥・栃代金山

 八日市場七面宮と割菱山門  ようかいちばしちめんぐうとわりびしさんもん
 霊山身延を要害の拠点にしようとした武田信玄が、移転するよう身延山に申し伝えた。ある晩、信玄の夢に七面天女の霊が現われたので、信玄は七面山を参詣して霊神を勧請し、八日市場に本山同格のお取扱いをもって堂宇を建立し、七面天女を祀ったという。これが山門の武田菱のいわれである。(ふるさと中富のはなし)

【地区・地名】原(八日市場) 【ジャンル】神仏 

 よこはたのおばあさん  よこはたのおばあさん
 下山宿裏のよこはたに住んでいたおばあさんは、咳に苦しめられたので同じような人を助けたいと思っていた。死後、そのおばあさんを拝めば咳を治してくれた。煎った麦粉を紙に包み卵の大きさにし、四隅に穴を開けたものを風の当たる木の枝に吊るすと、風が吹くたび下山のおばあさんの方に舞って行き、咳が治るとされた。(ふるさと身延第1集)

【地区・地名】下山(下山) 【ジャンル】不思議 

 龍が淵と紫雲の大藤  りゅうがぶちとしうんのおおふじ
 上之平(うえのたいら)の水神様の岩の樹齢千年という大欅には、古い藤が巻きつき良い眺めだったので、村人は「紫雲の大藤」とたたえ家紋と定めていた。淵の底の大きな洞穴には竜華のお姫様が住み藤の花を眺めていたというが、安政の地震で淵が埋まってからはお姫様も現われないという。(下部町誌)

【地区・地名】下部(上之平) 【ジャンル】不思議 

中に祀られた八幡様
現在の若宮八幡社
 若宮八幡宮  わかみやはちまんぐう
 岬の先端にあった若宮八幡宮が天文年間の暴風雨で跡形もなく流された。常葉川右岸に御神体が漂着しているのを発見した村人が、氏神として富士川左岸に祀り、この地を若宮と呼ぶようになった。竹之島の鳥居島は、若宮の鳥居が漂着したところだという。(下部町誌)

【地区・地名】下部(波高島) 【ジャンル】由来 

 忘れっぽい男と平林という医者  わすれっぽいおとことひらばやしといういしゃ
 忘れっぽい男が平林という医者を呼びに行くことになり、掌に「平林」と描いてもらって出かけた。医者の家も名前も忘れてしまい、辺りの人に掌の文字を見せて訪ねると、「ヘエベエシ」「ヒラリン」「一八十キーキー」などと、いろいろな答えが返ってきたので男は困って、「一八十キキか、ヘエベエシか、タイラリンか、ヒラリンか、一八十ボクボクの医者さんは、どこじゃいなァ」と叫びながら走った。(旅と伝説)

【地区・地名】原(飯富) 【ジャンル】笑い話 【キーワード】歌や呪文・言葉の遊び

 和平のお地蔵様  わだいらのおじぞうさま
 一色(いっしき)から常葉へ行く峠の峰地区である年、大雨で地滑りが始まった。村人がお堂へ駆け込みお地蔵様を背負って逃げようとしたところ、五百キロもあるのに軽々と背負うことができた。村は三百メートル滑り落ち家も田畑も水没したが、村人はお地蔵様のために立派なお堂を建て盛大に供養した。(下部町誌)

【地区・地名】下部(一色) 【ジャンル】神仏 

 和田原の地名  わだっぱらのちめい
 武田氏が砦を築くために富士川の流れを変える工事をしたが未完成に終わり、その工事の跡を今も「切り谷坂」と呼び道路としている。「もの見」「矢先」「殿様」「大名」など、武田氏にまつわる地名が残る。(身延町誌)

【地区・地名】大河内(和田) 【ジャンル】由来 【キーワード】武田信玄

 和田の清子山  わだのせいごやま
 清子の河原と呼ばれる場所はかつては沼で、大地震で上の山が崩れた際に埋まり、土砂は富士川対岸の和田に及んだ。後に川が土砂を洗い流したが一部が残り清子山と呼ばれ、そこだけ清子の土と似ている。(ふるさと身延第2集)

【地区・地名】豊岡(清子) 【ジャンル】言い伝え 

 渡場の阿弥陀様  わたりばのあみださま
 長坂御料林の中の窪地は昔、大きい湖だった。ある時、中之倉(なかのくら)の女が湖で腰巻を洗うとその晩から大雨が降り、満水になり山津波を起こして釜額(かまびたい)川が家や畑をのみ込んだ。流された長沢寺の阿弥陀様は古関(ふるせき)の村はずれで拾われ、広く高くて眺めのいい渡場へ祀られた。雨乞いの時は総出で阿弥陀様を背負って川尻へ行き、本栖(もとす)湖へ何回も沈めて砂まみれにし、戻って元のように祀れば必ず雨が降った。(下部町誌)

【地区・地名】古関(釜額) 【ジャンル】神仏 

 輪鳴り地蔵  わんなりじぞう
 武田信玄が峠で休息し夢で地蔵尊の姿を見て、石に「地蔵尊」と書き供養した。今川の大軍がこの坂下まで押し寄せた時、山の雑木が武田勢に見え異様なうなり声が聞こえたため驚いて逃げ、武田軍は大勝をした。うなり声は地蔵にかけてあった金輪が風で鳴ったもので、地蔵を輸鳴り地蔵と呼び、戦いに勝ったこの坂を勝坂(かんざか)と称した。(下部町誌)

【地区・地名】下部 【ジャンル】神仏 【キーワード】武田信玄

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