身延の民話



 「赤い岩」と「仏沢」  あかいいわとほとけざわ
 大塩に赤岩と呼ばれた土地があり、耕地の東北部に大きな崖があった。昔、口減らしのため六十歳になった老人をこの崖から投げ捨てたとのことで、六十歳になることを「赤岩行き」と言った。赤岩の下の沢を仏沢といい、夕暮れや雨の日には沢の奥からお題目が聞こえて来るといわれた。(中富の民話)

【同じお話】ふるさと中富のはなし『赤い岩と仏沢』 富士川谷物語『悲しいガレ』
【地区・地名】大須成(富士見山) 【ジャンル】悲話 

 秋葉権現  あきばごんげん
 周閑和尚は遍歴修業の途中、秋葉山に参詣し浜名湖に浮かぶ仏像を見つけた。顔は烏の嘴、体は河童のこの仏像を大切に身につけ托鉢を続け、富士川を上って八日市場まで来ると渡し舟で田原に渡った。竹やぶに小屋を建て携えてきた仏像を祀った。住職が周閑和尚と同じ三河生まれという縁から上向の向旭院の西方に御堂を建て、秋葉権現の礎を築いた。(中富町誌)

【同じお話】ふるさと中富のはなし
【地区・地名】静川(下田原) 【ジャンル】神仏 

 飯富の地名  いいとみのちめい
 早川の奈良田(ならだ)にいた孝謙天皇が病気になり、奈良田からの使者と奈良の都からの使者が飯富(いいとみ)で出会った。互いに「私がおぶ(負う、引き受ける)」と言い飯富(おぶ)の地名が生まれた。また、天皇崩御の際、飯富まで届いていた貢物を民衆が奪い合いにわかに富貴となったことから飯富の地名が生まれたともいう。(中富町誌)

【地区・地名】原(飯富) 【ジャンル】由来 

薬王寺総門と蛙石
 石が泣いた  いしがないた
 薬王寺総門の蛙石と呼ばれる巨大な石は寛政年間に村中で奉願寄進したもので、当時日暮れになると山に帰りたいと泣いたという。日照り続きの時は雨乞いの題目を唱え、子供を集め小石で蛙石を叩かせると、数日のうちに雨が降った。(ふるさと中富のはなし)

【地区・地名】大須成(大塩) 【ジャンル】不思議 

 石段秘話  いしだんひわ
 天明のひどい飢饉の年、岡崎方面から来た石工が、食事さえ恵んでくれれば日当なしで八幡神社の石段を造ると申し出たので、村は受け入れた。三年がかりで鳥居から境内まで石段を見事に仕上げると、石工は行く先も告げずに立ち去った。(中富の民話)

【同じお話】ふるさと中富のはなし「八幡神社の石段秘話」
【地区・地名】静川(下田原) 【ジャンル】由来 

石段の上から
左右に割れた大石
 石割稲荷社  いしわりいなりしゃ
 日蓮聖人御入山の折、山の中腹の岩が割れ中から白髪の老人が出て来た。聖人に問われ「元来身延の山に住み、深い岩屋に閉ざされている哀れな野生のもの」と答えた。また、「この世のために一日も早く御開宗なされますよう」と言った。後に村人がこの地に社を造り、老人を神として祀ったのが石割稲荷社で、左右に割れた大岩石が残る。(身延町誌)

【地区・地名】身延(身延) 【ジャンル】神仏 【キーワード】日蓮聖人

 一本松と柳  いっぽんまつとやなぎ
 日下りに「天狗松」と呼ばれる一本松があり、対岸の田原には富士川舟運の曳き舟を繋いだという大きな柳があった。たくさんの鯉が富士川を上がってきた時、一本松が鯉を呼ぶと、大柳も「こっちによい餌がある」と呼び、鯉はあっちへこっちへと疲れ切って近くの「ふじや」という廻し淵に集まり、それからずっとその淵が鯉のたまり場となった。(ふるさと中富のはなし)

【地区・地名】静川 【ジャンル】自然 

旧古関中校庭脇の犬石
 犬石  いぬいし
 古関の地頭が犬をつれて本栖湖へ狩りの途中、仮睡すると犬がしきりに吠え噛みつくので首を切り落とすと、傍らのやぶの中に飛びこんだ。やぶの中には大蛇が口を開け構えていたから、太刀で退治した。忠犬の遺体を持ち帰った後、丁重に葬った墓碑を犬石と言い伝えている。(下部町誌)

【地区・地名】古関(古関) 【ジャンル】動物 

 犬塔婆  いぬとうば
 日蓮聖人の身代わりに犬が毒入りの粟餅を食べて死んだが、聖人が犬のために建てた犬塔婆が今も身延山にある。(身延町誌)

【地区・地名】身延(身延山) 【ジャンル】人物譚 【キーワード】日蓮聖人

鬼子母神堂の絵馬(『広報みのぶ』より)
 稲を食う絵馬  いねをくうえま
 秋になると梅平(うめだいら)の田の稲を荒らす馬があり、あとをつけてみると鬼子母神堂に掲げた絵馬の馬だった。法主に封じ込めてもらうと稲を荒らさなくなったが、当時の名残で絵馬の口や足は泥で汚れている。(身延町誌)

【地区・地名】身延(身延) 【ジャンル】不思議 【キーワード】身延山

 浮洲の森  うきすのもり
 浮洲の森は下大島の富士川左岸に突き出した小丘で天神様が祀られているが、富士川が氾濫した時もこの森だけは流されなかったという。水が増すと浮くように上昇し、水が引くと元の場所に落ち着くと伝えられる。(ふるさと身延第2集)

【地区・地名】大河内(下大島) 【ジャンル】自然 

 牛石  うしいし
 武田信玄が湯之奥(ゆのおく)の金山を自慢の愛牛にまたがり視察した。帰路、暴れ出した牛が信玄をふり落とすと、路傍の大石に激突して死に、供人も自責の念にかられ割腹し自害した。信玄は従者と愛牛を大石の傍らに葬った。以来、この石を「牛石」と呼ぶ。(下部町誌)

【地区・地名】下部 【ジャンル】人物譚 【キーワード】武田信玄

 牛首  うしくび
 山口地区から山頂に達して右折した所に、老松の根元に古い石の祠があるが、これは勝負平で討たれた落武者の墓で、常葉村に埋めて欲しいという遺言からここに葬ったという。また、反対の山へ続く尾根に「牛首」という所があるが、そこが討たれた場所で、「討ち首」が転じたものだという。(下部町誌)

【地区・地名】下部(山口) 【ジャンル】言い伝え 

静仙院石段上り口の脇にひっそりと
お妙貞さんの碑
 牛裂き結婚  うしざきけっこん
 帯金(おびかね)の豪族の子孫新右衛門の娘のお菊は絶世の美人で、常葉の若者と婚約したが、高位の武士が権威でお菊を我が物にしようとした。板ばさみになったお菊は双方へ結婚の日を通知し呼び出すと、父は二頭の牛の尾にお菊の足を片方ずつ結び、牛をむち打った。牛が飛び出したとたんお菊の身体は二つに裂けた。(身延町誌)

【同じお話】ふるさと身延第2集『牛裂きの娘』 富士川谷物語『牛裂き祝言』 身延町のむかしばなし『牛裂き女』
【地区・地名】大河内(帯金) 【ジャンル】悲話 

 牛はご法度  うしはごはっと
 久成(くなり)村の氏神である八幡様の誉田別尊(ほむたわけのみこと)は大の牛嫌いだったため、神意を侵すと火災に見舞われたという。このため村では牛を飼うことは忌憚され、牛に因んだ名前も忌まれていた。(ふるさと中富のはなし)

【地区・地名】大須成(久成) 【ジャンル】由来 

 牛淵  うしぶち
 大城(おおじろ)川に砂金が流れるようになったのは、上流の淵に棲んでいた黄金の牛が死んでからだという。上流からその淵に雨乞いの祈祷札を流し、直ちに水中に巻き込まれれば雨が降るという。(身延町誌)

【地区・地名】豊岡(大城) 【ジャンル】言い伝え 

 鵜辷り  うすべり
 字を知らないが絵のうまい男がいた。盆が近づき子供に薄縁を買いにやらせたが、字を書けなかったので紙の切れ端に鵜が滑っている絵を描いて持たせた。店の人はそんな鳥はないと言ったが、店先にいた人が「鵜が滑っているから薄縁でしょう」と言った。(旅と伝説)

【ジャンル】笑い話 

 撃たれた美女  うたれたびじょ
 栃代(とじろ)金山の入口付近に美女が立っていた。坑夫が猟師に話すと「狐か狸の仕業だ」と言い、鉄砲で撃つと美女はたちまち消えたが同時に猟師も死んでしまった。以来、鉱山はいくら掘っても金が出なくなった。(下部町誌)

【地区・地名】下部(栃代) 【ジャンル】不思議 【キーワード】湯之奥・栃代金山

 うば神様  うばがみさま
 咳で苦しんでいたおばあさんが、「自分が死んだらうば神として祀って欲しい」と言って死んだ。咳で悩む人は真綿をうば神様の首に巻き、うば神様の真綿と交換し、咳が治るとお礼に新しい真綿をうば神様の首に巻いたという。(中富町誌)

【地区・地名】原(宮木) 【ジャンル】神仏 

 うば清水  うばしみず
 日蓮聖人が御巡錫の折、ある農家で水を求めたところ、うばは谷を下り水を汲んで来た。それを哀れに思った聖人が杉の杖で地面を掘ると、清水が湧き出した。(身延町誌)

【地区・地名】下山(杉山) 【ジャンル】人物譚 【キーワード】日蓮聖人 杖立伝説

 黄金千両・漆千本  おうごんせんりょううるしせんぼん
 梅の渡場と松葉沢の間の低い尾根のふもとを開墾していた人が、急に具合が悪くなり倒れた。同じことが三日続いたので尾根に登ってみると、松の根元に人の姿が刻まれた石碑があり、恐ろしくなって開墾を断念した。そこは自害沢で死んだ夫を訪ねて来た妻が大金を埋めたという場所で、「梅と松とのその間に黄金千両、漆千本」という歌がある。(下部町誌)

【地区・地名】古関 【ジャンル】怪異 【キーワード】歌や呪文・言葉の遊び

 大磯小磯  おおいそこいそ
 鎌倉時代の初期に曾我氏が陣を張った所を陣場、戦に敗れ白害した所を自害沢といい、その墓碑が今も残る。また、その妻、虎御前は相模の大磯から訪ねてきたが、主人の死を聞き大磯地内に隠れ住んだ。二人の子に兄に大磯、弟に小磯を開かせたという。(下部町誌)

【地区・地名】古関(大磯小磯) 【ジャンル】人物譚 

 大久保の話  おおくぼのはなし
 二人の猟師が大久保にやって来たが、住みやすそうな土地だと思ったので東にかや、西にもみじの枝を挿し、一年後に根づいていたらここに住むことにしようと立ち去った。一年後、どちらも根づいたので二人はそこに住むことにした。大久保の近くのつび石という巨石はお産の神様ともいわれ、日蓮聖人がご入山の折に誰かと碁を打ったといわれる碁盤石もある。(ふるさと身延第1集)

【地区・地名】豊岡(清子) 【ジャンル】言い伝え 

 奥抔の大藤  おくなどのおおふじ
 久那土(くなど)の村名発祥の地である奥抔では、子の神様や鬼子母神などのおかげで子どもの災害はないという。これらの神々を祀った境内に御神木の大藤があるが、昔、枝を伐ったためはやり病に悩んだという。隔年開花で、咲いた年は実が音を立ててはじけるという。(下部町誌)

【地区・地名】久那土(三沢) 【ジャンル】神仏 

 お駒の寝床と泥棒淵  おこまのねどことどろぼうぶち
 反木川(そりきがわ)左岸を少し上がった大岩の下に「お駒の寝床」と呼ばれる奥深い洞穴があり、お駒という者が住みつき村で物もらいをしていた。村では泥棒の被害が続き、ある晩見張り番が追いかけると、お駒の寝床の前で川に飛び込み姿が見えなくなった。お駒もいなくなったので、「昼間お駒が様子を見て夜になると泥棒が交代で稼いでいた」と推測する者もあった。(下部町誌)

【同じお話】富士川谷物語「根子鉱山遺聞」
【地区・地名】古関 【ジャンル】言い伝え 

 大子山の厄除地蔵尊  おごやまのやくよけじぞうそん
 甲府盆地を望む山地にある地蔵堂の三体の地蔵菩薩のうち、最も古い一体には頭部に傷みがある。妙蓮寺が真言宗だった頃、大蔵坊の大欅の根元に地蔵菩薩を安置したところ、村の子供たちが地蔵尊に綱をつけて引きずり回して頭部を傷つけた。間もなく集落に疫病が起こり多数の死者が出たので、地蔵堂を建立した。(ふるさと中富のはなし)

【地区・地名】原(八日市場) 【ジャンル】神仏 

岩船地蔵尊と崖下を流れる川
 お地蔵淵  おじぞうぶち
 切房木(きりふさぎ)の岩船地蔵堂の淵には河童が住んでいて、村の人寄りの時に頼むと膳椀を揃えて貸してくれたが、ある時お膳を一枚返さなかった人がいたため河童は怒り、それ以来貸さなくなった。その人は悔いて、謝罪にその膳に商売道具のノミを一丁載せて返したが効き目はなく、膳は三日目の朝、鴨狩の高前寺の淵に浮いていた。(下部町誌)

【同じお話】久那土の民話
【地区・地名】久那土(切房木) 【ジャンル】不思議 

 お上人道  おしょうにんみち
 大泉寺住職の夢に童子が現われ「栃代(とじろ)山の岩の上に高僧がいるから寺へ迎えよ」と言い消えた。同じ夢を見た檀家二人と山へ登ると、七尋岩の上に富士大石寺の日有(にちう)上人がいたので寺に迎え、上人は大杉山有明寺(うみょうじ)を建てた。以来、法主の代僧が有明寺へ参詣する際には村人は七尋岩まで出迎え、代僧は大泉寺で旅仕度を解いて有明寺に入ることが常例になった。(下部町誌)

【地区・地名】下部(杉山) 【ジャンル】由来 

 お玉石さんの由来  おたまいしさんのゆらい
 枡屋という宿屋に住みついた男は恐ろしい容貌だったが、力もあり無口でよく働いた。時が経ち、突然男の姿が見えなくなった。山へ行った村人が、男が大きな石をお手玉のように投げ上げ遊んでいるのを見た。山の神が姿を変え現われたのではないかと、枡屋ではその石を持って来てお玉石さんとして神に祀った。(ふるさと身延第1集)

【同じお話】延壽の里 富士川谷物語「まつられた石」
【地区・地名】身延(身延) 【ジャンル】不思議 

 おとらのがれ  おとらのがれ
 里に住むおとらが奥の院の若僧と恋仲になり、毎夜若僧のもとに通った。その情熱を恐れた若僧はある夜、おとらを高い崖から谷底へ突き落とした。夜そこを通ると泣き声が聞こえると言われ、若僧も病死した。(身延町誌)

【地区・地名】下山(下山) 【ジャンル】悲話 

 おどれ木  おどれぎ
 御目付巡見で富士川を舟で下っていた役人が、西岸の欅の大木を見て「あの木は何と申すか?」と船頭に尋ねた。船頭が鄭重に「おどれの木でござる?」と問い返すと、役人は「おどれの木と申すのか」と早合点した。(中富町誌)

【同じお話】中富の民話「おどれの木」 富士川谷物語「おどれの木」 ふるさと中富のはなし「おどれの木」
【地区・地名】西嶋(西嶋) 【ジャンル】笑い話 【キーワード】富士川・屏風岩

 おなつがれ  おなつがれ
 稼ぎ者で男っぷりがよいと評判の炭焼きの若者に惚れ込んだおなつは、夜ごと若者のもとに通った。おなつの情の深さを恐れた若者はある日、橋げたを切断しておいた。炭焼きの火を目指し橋を通ろうとしたおなつは、深い谷にまっさかさまに落ちた。(中富町誌)

【同じお話】ふるさと中富のはなし 富士川谷物語「悲しいガレ」 富士川流域を歩いて「おなつガレ」
【地区・地名】曙(梨子) 【ジャンル】悲話 

ホーケイ様の碑
 小原島のホーケイ様  おばらしまのほーけいさま
 小原島の早川上流の河岸近くに鶏塚があり、大雨の時に鶏の鳴き声がすると小原島が流失するといわれ、小原島では鶏は飼わないことになっていた。鶏塚の上に建てられたのがホーケイ様で、妙経様がなまったものと考えられる。(ふるさと身延第1集)

【同じお話】身延町のむかしばなし「ほうけいさま」
【地区・地名】下山(小原島) 【ジャンル】動物 

 お春岩  おはるいわ
 川向(かわむき)の名主の家にお春という美しい娘がいた。娘は及ばぬ恋に一人悩み、家人の留守に崖から身を投げた。以来この岩を「お春岩」と呼ぶ。その時からこの岩は天気のよい日は白っぽく、雨の前には黒ずんでくるので、村人達は「お春の涙雨の前兆だ」といって霊を慰め、天気測定の目安にもした。(下部町誌)

【地区・地名】下部(川向) 【ジャンル】不思議 

 帯金石  おびかねいし
 毛無山(けなしやま)中腹に横たわる平たい大きな石は帯金(おびかね)石と呼ばれ、帯金領主だった信継がこの上に立った足跡がある。この石の上から信継が鳥獣を射たともいう。(ふるさと身延第2集)

【地区・地名】下部 【ジャンル】人物譚 

 帯金のおじいさん  おびかねのおじいさん
 遊んで暮らしているが裕福な老人がいた。不思議に思った若者たちが老人に尋ねると、「ついて来い」と歩き出し、ものすごい速さで割石(わりいし)峠から甲府盆地に出た。立派な家の塀をひらりと乗り越え家に入ると、金箱を取り出し「これが一両小判、これが一分銀」と説明し、ふところにしまい来た道を帰って行った。若者たちが村に戻ると老人は植木の手入れをしていた。(身延町誌)

【同じお話】富士川谷物語「帯金ののん気爺さん」
【地区・地名】大河内(帯金) 【ジャンル】人物譚 

 お弁天さん  おべんてんさん
 後の臨済宗妙心寺派の高僧・百隠禅師が信州への道中、中山の宝珠院に立ち寄った。村は凶作で食べ物はなく、乳飲み子が次々に死ぬ窮状を見かねた師は、弁財天白蛇尊の御本尊を授け、餅で作った白蛇のお姿を食べれば子孫繁栄は間違いないと説法した。(ふるさと中富のはなし)

【地区・地名】曙(中山) 【ジャンル】神仏 

 お薬師さまと願かけ  おやくしさまとがんかけ
 丘陵地にあるお薬師(やくっ)さまには二体の仏像が安置され、願かけをして尊像を抱き上げると、願い事が叶えられる時には軽く上がるという。昔、ある家に器量よしの娘が二人いたが、婿をとらせようとした姉娘が近所の長男の若者と恋仲になり身ごもった。お薬師さまに子の安産と生まれる日時の願をかけたところその通りになったので、反対していた両親は結婚を許可し、一体の仏像を寄進したという。(ふるさと中富のはなし)

【地区・地名】西嶋(西嶋) 【ジャンル】神仏 

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