身延道

語彙集

ごいしゅう
[道と町に関することば | 歴史に関すること・人物 | 宗教に関すること・人物]

道と町に関することば

追分け 【おいわけ】
道がふたつに分れる所、分岐(ぶんき)点。
往還 【おうかん】
往(ゆ)き来する道、街道。
河岸 【かし】
川の岸で、船から人や荷物のあげおろしをする所。
口留番所 【くちどめばんしょ】
江戸時代、藩(はん)の境界や要所に設けられ、物資の流出などを監視(かんし)した所。
宿駅 【しゅくえき】
街道筋(すじ)に設けられた、宿泊設備や人馬が置かれた集落。 鎌倉時代以降に発達し、江戸時代には宿場町(しゅくばまち)となる。
番所 【ばんしょ】
江戸時代、交通の要所に設けられ、通行人や船などの監視(かんし)や、徴税(ちょうぜい)などを行なった所。
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歴史に関すること・人物

穴山梅雪 【あなやま・ばいせつ】
天文10-天正10(1541-82)。 武田氏の武将で名は信君(のぶきみ)。 信友の子で母は武田信玄の姉、妻は信玄の娘。 逸見(へみ)穴山領、東西河内領、国中中郡支配を経て、天正3年(1575)以後は駿河(するが)江尻以東を支配した。 天正10年(1582)、武田家滅亡の間際に徳川家康に降り織田信長に謁見(えっけん)。 本能寺の変に遭い帰国の途中、山城宇治田原で一揆勢(いっきぜい)により殺害される。 跡を継いだ子の勝千代信治は16歳で逝去(せいきょ)、天正15年(1587)に穴山家は途絶えた。
甲斐九条 【かいくすじし】
古代より発展した甲斐の9つの主要な街道。 「若彦路(わかひこじ)」「右左口路(うばくちじ=中道)」「河内路(かわうちじ)」「鎌倉街道(御坂路)」「萩原口(はぎはらくち=青梅街道)」「雁坂口(かりさかくち)」「穂坂路(ほさかじ)」「逸見路(へみじ=諏訪口)」「大門嶺(だいもんとうげ)」のこと。 『甲斐国志』によれば、これらのすべてが甲府・酒折(さかおり)宮を起点としている。
甲斐国志 【かいこくし】
甲斐国の地誌を記した全71冊からなる文書。 文化3(1806)年、江戸幕府の命(めい)を請(う)けた当時の甲府勤番(きんばん)支配松平定能(まつだいら・さだまさ)により編纂(へんさん)が開始、およそ10年の年月をかけ完成された。 各村ごとに人口・地理・産業・史蹟(しせき)・寺社・人物などが仔細(しさい)に調査されており、山梨の歴史を知る際に欠かすことのできない貴重な資料とされている。
加賀美遠光 【かがみ・とおみつし】
康治2(1143)年、若神子(わかみこ=北杜市須玉町)逸見(へみ)の館で生まれる。 甲斐源氏(かいげんじ)の始祖(しそ)新羅三郎源義光の曽孫、武田氏の始祖太郎信義の弟。 現在の南アルプス市加賀美(かがみ=旧若草町)に居城、大井、奈胡、東・西河内領(峡西地方から鰍沢町にかけての一帯)および於曽郷(おぞのごう=甲州市塩山、旧塩山市)を治め強大な勢力を誇った。
九筋二領 【くすじにりょう】
近世における甲斐国の行政区画。
九筋は甲府盆地一帯の地域を9つの区域に分けたもの(「栗原(くりはら)筋」「万力(まんりき)筋」「北山筋」「逸見(へみ)筋」「武川(むかわ)筋」「大石和(おおいさわ)筋」「小石和(こいさわ)筋」「中郡(なかごおり)筋」「西郡(にしごおり)筋」)。
二領は都留(つる)郡に相当する「郡内(ぐんない)領」と九筋の南側の地域に相当する「河内(かわうち)領」。 「河内領」のうち富士川以西(巨摩郡部)を「西河内領」、富士川以東(八代郡部)を「東河内領」と称した。
新羅三郎 【しんら・さぶろう】
新羅明神(みょうじん)の神前で元服したことによる源義光の異名。 源義光(1045-1127)は 平安後期の武将で頼義の三男、義家の弟。 東国(とうごく)を経営、武田氏・佐竹氏・小笠原氏などの祖(そ)となった。
角倉了以 【すみのくら・りょうい】
安土桃山(あづちももやま)から江戸時代初期にかけての京都の豪商(ごうしょう)。 安南(アンナン=ベトナム)との間で朱印船(しゅいんせん)による貿易を営(いとな)む。 河川(かせん)の開発に従事し、富士川や天竜川(てんりゅうがわ)の水路を開く。
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宗教に関すること・人物

大聖寺 【だいしょうじ】
身延町八日市場(旧中富町)、古義真言宗(こぎしんごうしゅう)の古寺で、山号は三守皇山。 開基は新羅三郎義光、開山は円入法印。 本尊の不動明王は空海(くうかい)の作で、宮中の清涼殿に安置されていたものを、承安1(1171)年、加賀美遠光が禁中守衛の功により高倉天皇から下賜(かし)され、曽祖父の開基したこの寺に安置したと伝えられる。 国の重要文化財に指定。
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