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 もっとくわしく知りたい!
 学術的がくじゅつてきなこと

「ユリ科」の「ユリ属 ぞく」の「ヤマユリ」です。
 ユリ属は96種が世界に広く分布 ぶんぷ していして、日本には15種が自生 じせい しています。そのうちの8種が日本の固有種 こゆうしゅ で、ヤマユリもその中に含 ふく まれます。ユリ属の種はいずれも花が美しく、育種 いくしゅ の素材として世界中で使われています。ヤマユリは中でも最も大きな花を咲 さ かせる種のひとつです。
 ヤマユリは野菜(蔬菜 そさい)として紹介 しょうかい されることもあります。タマネギやラッキョウ、ニンニクなどと同じく、ユリ科の根菜類 こんさいるい という位置づけです。
自生地じせいち特徴とくちょう

範囲
はんい
 東北から近畿 きんき にかけてが自生の範囲 はんい で、日本海側は秋田県の岩館 いわだて 海岸付近が北限 ほくげん です。北海道や四国、九州などでも野生のヤマユリが見られますが、これらは栽培 さいばい していたものが野生化したものと考えられています。
 ただ自生地は全国的に年々減少していて、以前は有名な群生地 ぐんせいち であった丹沢 たんざわ 山地周辺でも、現在は群生は見られないそうです。山梨県内でもかつてはかなりの数が自生していましたが、近年極端 きょくたん に減少しているということです。「山梨県版レッドデータブック」には、「準絶滅危惧種 じゅんぜつめつきぐしゅ」として記載 きさい されています。
標高
 山間地 さんかんち に多い傾向 けいこう があります。関東 かんとう では200〜400mほどの場所に多く自生しています。その範囲外 はんいがい の地点でも生育し、山梨県内では、ほとんどが900m以上の富士河口湖町 ふじかわぐちこまち の足和田 あしわだ地区、1200mほどの雁ヶ腹摺山 がんがはらすりやま(大月市)ふもとの大峠 おおとうげ 付近、1600mほどの富士山3合目の下あたりでも、自生が確認 かくにん されています。
 身延町の自生地、北川地区の長塩の標高はおよそ300mです(身延町役場が225mくらい、身延町立図書館は177mくらいです)。
環境
かんきょう
 排水 はいすい がよく、湿度 しつど の保たれた半日陰 はんひかげ で、18〜20℃の涼 すず しい気温を好みます。気温が高いと開花 かいか は早まりますが、葉や花の数が減り茎 くき は短くなります。反対に気温が低いと開花は遅 おく れるものの、花の品質は高まり寿命 じゅみょう も長くなります。その地域 ちいき の気候そのものよりも、株 かぶ の周辺の状況 じょうきょう が重要です。
土質
どしつ
 有機質 ゆうきしつ に富んでいて弱酸性 じゃくさんせい、排水性 はいすいせい と保水性 ほすいせい に優 すぐ れていることが重要です。
ヤマユリの語源ごげんび名

 ユリの語源としては、

   大きく重たい花がゆらゆら揺 ゆれる → 「ユル」「ユラ」(揺)

との説が一般的 いっぱんてき ですが、ほかにも

   花が傾 かたむ く → 「ユルミ」(緩み)
   根株 ねかぶ に鱗片 りんぺん が重なり合うようす、「ヤヘククリネ」(八重括根)

などの説もあります。
 ユリには地方名が多く、「ユル」のほかにも「ヨル」、「ルル」、「ドレ」、「ゴロ」、「ガウル」、「コーラ」などがあり、その語根 ごこん は「ユル」に見られる「ウル」であると推定 すいてい されます。「ウル」はデンプン性のものを表す言葉で、うるち米 まい の「ウル」、「クリ」、「クヌギ」、「クズ」などが同根と考えられるということです。

 「ヤマユリ」という呼び名が統一的 とういつてき になったのは明治 めいじ 中期以降 いこう のことだそうです。それまでは、地域 ちいき ごとの呼び名で呼ばれていました。「鳳来寺 ほうらいじ ゆり」「叡山 えいざん ゆり」「吉野 よしの ゆり」「波瀬 はぜ ゆり」「石動山 いするぎやま ゆり」「箱根 はこね ゆり」「鎌倉 かまくら ゆり」など、地名入りの呼び名が多くあります。
 地域による呼び名はそのほかに、「リョウリユリ(料理ゆり)」(新潟県)、「ヨロ」(新潟県)、「ボンノハナ」(岐阜県)、「ガーラバナ」(島根県)、ヤマヨリ(島根県)、「コーラン」(島根県・山口県)、「ゴロ」(愛媛県)などもあります。

 ところで、ユリが漢字で「百合」と表記されるのは、球根の鱗片が「いくつも(百)」「重なり合った(合)」形が白い蓮 はす の花のようであることから、だそうです。宋 そう の時代の動植物について解説した書物に書かれています。

ヤマユリの活用

 ヤマユリは、花を楽しんだり球根を食べたりするだけでなく、薬としても使われてきました。


食用としてのヤマユリ

 利用する部分は主に球根ですが、つぼみを使うこともあります。成分のほとんどがデンプンでですが、タンパク質やカリウムなども比較的 ひかくてき 多く含 ふく んでいます。
 ヤマユリの球根は、ユリの球根の中でももっとも味が良いとされていますが、ウイルス性の病気などにより生産が安定しないという弱点があります。江戸時代に食材として広く利用されていた記録があり、おそらくそれよりも古くから食べられていたものと考えられます。ユリの球根を食用にするのは日本や中国といった東アジアの一部のみということです。
 「ユリ根」として流通しているものは、球根の大きなオニユリと、小さいが味のよいコオニユリを交配 こうはい したものが主流です。生産の99%以上が北海道で、ほかには岐阜、島根、京都、青森などで生産されています。旬 しゅん は11〜12月ですが、一年中出回っています。消費の中心は関西 かんさい です。
 食用としての利用法には「丸ごと、そのままの形で使う」「鱗片 りんぺん をバラバラにはずして使う(かきユリ)」「熱を通した鱗片を裏 うら ごししペースト状にして使う」の3つがあります。基本調理としては含 ふく め煮 に、茶碗蒸 ちゃわんむ し、飛竜頭 ひりょうず (=がんもどき)、きんとんがあります。

  大月市には「神棚 かみだな ユリ」という風習があったということで、お正月の縁起物 えんぎもの としてユリ根を神棚に飾 かざ り、正月明けにそれを家族で食べたそうです。

薬用としてのヤマユリ

 日本や中国など東アジア以外にヨーロッパの一部でも、薬用としてのユリの利用がみられます。デンプン以外にタンパク質、カリウム、リン、鉄なども含 ふく み、昔から滋養強壮 じようきょうそう に効果があり、肺 はい の病気や産後の栄養補強 ほきょう によいとされてきました。火傷 やけど や腫 は れ物を散らす痛 いた み止め、去痰剤 きょたんざい、利尿剤 りにょうざい としての効果があるとされ、薬用としても珍重 ちんちょう されてきました。
 球根を日干 ひぼ しにしたものを煎 せん じて飲みます。解熱 げねつ、咳 せき 止め、強壮 きょうそう など、さまざまな効能があるとされています。

ユリの民間みんかん療法りょうほう

 火傷 やけど にユリの花をつける。
 ユリの花を唾液 だえき や水で患部 かんぶ につける。
 油に漬 つ けておいたユリの花をつける。
 腫物 はれもの には生の球根をすり、塩を入れて患部に貼 は る。
 球根を蒸 む して紙にのばして貼る。
 中耳炎 ちゅうじえん には花を油か水に浸 ひた しておいてそれを耳の中に注ぐ。
 球根は胃の強壮剤 きょうそうざい
 利尿 りにょう には球根をすって足につける。
 肺結核 はいけっかく には土用ユリ(カノコユリの別名)がよい。
  かさ には球根をすったものとムカデの黒焼きを合わせて練ってつける。

観賞用としてのヤマユリ

 ユリの観賞用としての歴史は古く、ヨーロッパでは紀元前 きげんぜん より、純潔 じゅんけつ の象徴 しょうちょう として儀式 ぎしき などで盛 さか んに使われていました。古事記 こじき や日本書紀 にほんしょき にはユリの記述があり、万葉集 まんようしゅう にもユリの歌が詠 よ まれています。これらのユリは、ヤマユリではない場合が多いのですが、ユリの花が古くから好まれていたことがわかります。

輸出ゆしゅつの歴史

江戸
えど
 江戸の末期 まっき にシーボルトが日本の植物をヨーロッパに紹介 しょうかい しており、その中にヤマユリも含 ふく まれていました。
明治
めいじ
 テッポウユリなどとともに、ヨーロッパでの万博 ばんぱく や園芸共進会などでヤマユリが紹介され、その存在 そんざい が海外に知られるようになりました。
 明治10年代から、山採 やまど りのものを中心にして、ヤマユリ、ササユリ、オニユリ、スカシユリなどの球根が輸出され始めました。1890(明治23)年ころの統計には、ユリ類球根の輸出額は2万5000円程度(現在の5億円くらい)とあります。
 本格的なユリ球根の輸出を行なったのは、ドイツ人貿易商 ぼうえきしょう ボーマーです。明治の初めにボーマー商会を設立し、山採りのヤマユリ、ササユリ、食用に栽培 さいばい されていたコオニユリ、スカシユリなどを集荷 しゅうか、横浜港から輸出していました。当時は山採りの球根が多くを占 し めていましたが、栽培品が拡大 かくだい し、横浜植木商会(現・横浜植木株式会社)のような日本人による商社も作られ、栽培されたユリ球根が盛 さか んに輸出されるようになりました。
大正
たいしょう
 その後も輸入が拡大 かくだい して、1917(大正6)年には政府から「重要輸出品」に指定されるまでになりました。当時の輸出品種は、7割がテッポウユリで、そのほかにカノコユリ、ヤマユリ、サクユリ、オニユリなどでした。
昭和
しょうわ
 昭和に入ると輸出はさらに拡大します。第二次世界大戦の折には輸出は完全に途絶 とだ えましたが、戦後になり輸出が再開されました。外国からの注文に供給 きょうきゅう が追いつかない状態が続き、戦前ほどではなかったものの、輸出は拡大して行きました。戦後の輸出は昭和40年代にピークを迎 むか えましたが、戦前の輸出量までには届 とど きませんでした。
ヤマユリの知識・番外編


今度はヤマユリ検定? それもないと思いますよ、残念ですけど。
 最後にヤマユリにまつわる、知っていると自慢 じまんできる(かも知れない)ちょい足し情報を。将来 しょうらいヤマユリ検定を受ける人は必読!


言い伝え・花言葉

ユリを植えるのは… ユリを屋敷 やしき 内に植えるのは凶 きょう
ヤマユリを入口に植えると病人が絶 た えない。
ヤマユリの花はうめき声を好むから寝室 しんしつ の付近に植えるな。
白ユリを屋敷内に植えると主人が死ぬ。
白ユリは… 白ユリの夢を見ると人が死ぬ。
山ユリは…  よめ 入りの時にヤマユリの模様 もよう の紋付 もんつき を着ると、球根のようにコロコロ何度も嫁 とつ ぐ。
ヤマユリの花盛 ざか りにクマが出る。
ヤマユリの花実が多くつくと豊作。
ユリの花言葉 白ユリ、クルマユリ … 純潔 じゅんけつ 
黄ユリ … 飾 かざ らぬ美
オニユリ … 富と誇 ほこ 
カノコユリ、ヤマユリ … 荘厳 そうごん 

 ここに取り上げた花言葉はほんの一例です。イギリスでは黄ユリが「偽 いつわ り」、フランスでは白ユリが「純潔」のほかに「自尊心 じそんしん・高慢 こうまん」というように、国による違 ちが いや、全く異なる複数の意味を持つ場合もあります。

ヤマユリと俳句はいく

 「百合」は初夏の季語で、「山百合」は「百合」の子季語です。子季語というのは、もとの季語の言い方や意味を拡張 かくちょう した変化形の季語のことで、傍題 ぼうだい とも言います。「百合植う ゆりうう」という季語もあり、掘 ほ り起こしておいた球根を再び土に植える、ということで春の季語です。

 「山百合」を詠 よ んだ句をいくつか紹介しましょう。

    山百合にねむれる馬や靄の中  飯田蛇笏 (山廬集)

    偽りのなき香を放ち山の百合  飯田龍太 (山の木)

    山の百合若年の危惧揺るるさま  飯田龍太 (春の道)

    山百合の顔出してゐる防護柵  廣島爽生 (身延春秋)