身延町地域資料 > 身延のいきもの > 町のシンボル > もっとくわしく知りたい!〜シダレザクラ〜     

 もっとくわしく知りたい!
そもそもサクラって?

 「バラ科」の植物です。現在の日本ではサクラのみを「サクラ属 ぞく」(Cerasus)として分類するのが主流ですが、欧米 おうべい ではウメ、アンズ、スモモなどと同じ「スモモ属」(Prunus)としての分類が主流です。
 日本には野生種 やせいしゅ のサクラが10種あるとされています(11種との見方もあります)。野生種や野生種の変異種 へんいしゅ から作られたサクラを栽培品種 さいばいひんしゅ と呼び、その数は200種類以上あります。栽培品種の多くは、野生種のオオシマザクラがもとになっています。
では、シダレザクラとは?

 「シダレザクラって、どんな木?」のページでも少し触 ふ れましたが、もう一度確認 かくにん しておきましょう。シダレザクラには、狭 せま い意味でのシダレザクラと広い意味でのシダレザクラがあります。
 狭い意味でのシダレザクラは、「エドヒガンが突然変異 とつぜんへんい して、枝が下へ垂 た れるようになったもの」です。枝が下へ垂れる以外の特徴 とくちょう は、エドヒガンとまったく同じです。イトザクラと呼 よ ばれることもあります。
 一方、広い意味でのシダレザクラは、「枝が下へ垂れるサクラ全般 ぜんぱん をいいます。狭い意味でのシダレザクラに加えてベニシダレ、ヤエベニシダレ、センダイシダレなども含 ふく まれます。
 枝が垂れるようになる理由としては、枝の伸 の びる向きを制御 せいぎょ するジベレリンやオーキシンなど、植物ホルモンの影響 えいきょう が考えられています。シダレザクラの場合、枝の木材が硬化 こうか する前に長く伸びるために、重力で下に垂れるということです。この特徴は必ず遺伝 いでん するというものではなく、シダレザクラの実生 みしょう から成長したサクラが確実にシダレザクラとなるわけではありません。実生とは、種が発芽して育った草や木のことです。
シダレザクラを歴史的に見ると…

 平安時代の文献 ぶんけん に「糸櫻」「しだり櫻」の名前の記述があり、この時代の一般的 いっぱんてき なサクラの増殖 ぞうしょく 方法は種子によるものと考えられているため、シダレザクラは栽培品種 さいばいひんしゅ となった最も古いサクラなのかも知れません。突然変異 とつぜんへんい で生まれた枝の垂れているサクラが人の目にとまって、実生 みしょう による増殖が繰 く り返されてきたものと考えられます。
 シダレザクラの巨樹 きょじゅ や老木 ろうぼく が各地の寺社に数多く残されていることも、古くから栽培されてきたことの裏付 うらづ けといえます。全国のシダレザクラには、比較的 ひかくてき 近縁 きんえん の個体が多い傾向 けいこう があるとのことです。
エドヒガンの特徴とくちょう

 ソメイヨシノよりも少し早く、お彼岸 ひがん の頃 ころ に咲 さ くので、ヒガンザクラとも呼 よ ばれます。また、花が咲く時にはまだ葉が出ていないところから、ウバザクラという呼び名もあります。葉がない→歯がない→老婆 ろうば=姥 うば、というわけです。
 エドヒガンには、成長が遅 おそ くて幹が堅 かた いという特徴 とくちょう があります。風雪害 ふうせつがい に強いので、サクラの中で最も長寿 ちょうじゅ で巨樹 きょじゅ に育ちやすいのです。発芽してから花が咲くまでの期間が長く、数十年経 た ってから、樹高 じゅこう が10mになってから、ということもあるそうです。
 青森県から鹿児島県までと、韓国 かんこく の済州島 さいしゅうとう に分布しています。石川県と千葉県には自生集団が確認 かくにん されていないとのことです。

特徴的な樹木じゅもくのしくみ

 サクラにはエドヒガンやソメイヨシノなど、花が咲く時にまだ葉が出ていない種類があります。葉が出ていなくても光合成ができるのは、樹皮 じゅひ の内側のコルク皮層 ひそう という部分に葉緑体を持っているからです。枝や幹の樹皮のすぐ下にある、緑色の部分が葉緑体です。サクラ以外にもこの特徴を持つ木は多くあります。

 サクラは「自家不和合性 じかふわごうせい」といって、自分自身の花粉から実を作りにくい性質を持っています。受粉はしても、そこから種となるまでのどこかの過程で止まってしまうのです。別の木の花粉を受粉することで実をつけるですが、栽培品種 さいばいひんしゅ、特にソメイヨシノの場合には少し特殊 とくしゅ な事情があります。


ソメイヨシノと桜前線

 日本各地の、標準となるサクラの木の開花日が同じ場所をつないだ線が、「桜前線」です。天気図の前線が移動するように、サクラが開花した場所を示す線が、だいたい南から北へと上って行きます。標準となる木はおもにソメイヨシノです。
 サクラは、その種類によって開花の時期が異 こと なります。また、同じ種類の木でも個体による差があって、同じ場所にある木でも、開花の早い遅 おそ いはあるものです。それなのに、はっきりとした開花日の線を日本地図上に示すことができるわけは、ソメイヨシノが持つ特徴 とくちょう にあります。ソメイヨシノはいっせいに咲 さ くのです。
 ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの交配種 こうはいしゅ です。葉が出る前に花が咲くのはエドヒガンの特徴、華 はな やかで大きな花をつけるのはオオシマザクラの特徴で、薄桃 うすもも の花色はエドヒガンとオオシマザクラの中間です。現在日本国内に植えられているサクラの8割はソメイヨシノだといわれています。
 日本の各地に植えられているソメイヨシノはすべて、もととなった一本の木から接木 つぎき で増やされた「クローン」です(接木については、このあと出てきます)。まったく同じ遺伝子 いでんし を持っているので、性質もまったく同じなのです。つまり、同じ場所にあるソメイヨシノは全部、気温などの同じ条件に同じ反応をするので、いっせいに咲くというわけです。
 一般 いっぱん に、ソメイヨシノは短命 たんめい といわれますが、100年以上生きている木もあります。青森県の弘前 ひろさき 公園には樹齢 じゅれい 100年を越 こ えるソメイヨシノが数多く残っています。そのうちの1本は、明治15(1882)年に1000本以上植えられたソメイヨシノのうちの1本とのことで、県の天然記念物に指定されています。福島県郡山 こおりやま 市の開成山 かいせいざん 公園にあるソメイヨシノはさらに古く、明治11(1878)年に植樹 しょくじゅ したものであることが最近の調査で明らかになりました。「開成山の桜」として、日本遺産 いさん 構成文化財に指定されています。どちらの木も、100年を優 ゆう に越 こ えています。
 ソメイヨシノの寿命 じゅみょう は60年との説があり、早く成長することや大きな花をたくさんつけることが理由ともいわれます。全国的に植樹されてからの歴史が浅いので、よくわかっていないことも多いのですが、短命なのは植えられた環境 かんきょう が原因で、実際の寿命はもっと長いはずだとの見方があります。ソメイヨシノは公園や並木 なみき など、あまり間隔 かんかく を取らずに植えられている場合が多く、枝や根が自然に伸 の びることができなかったり、根元をアスファルトに覆 おお われたり人に踏 ふ まれたり、といったことが影響 えいきょう しているものと考えられています。 サクラの根元でのお花見NG!

 サクラに限ったことではありませんが、実 み は、木から落ちただけのものより、鳥や動物が食べて果肉が消化されてから排泄 はいせつ された種の方が、より発芽しやすいそうです。鳥や動物は、種を別の場所へ運んでくれて、さらに発芽しやすくしてくれるありがたい存在 そんざい なのです。

 サクラは種で増えますが、栽培 さいばい の場合は大部分が接木 つぎき で増やします。接木というのは、土台となる木(台木 だいぎ)の幹の部分に、増やしたい木から切り取った枝(接ぎ穂 つぎほ・穂木 ほぎ)を接 つ いで育てる方法です。サクラ以外の木の場合、成長しても台木と穂木の境目がはっきりとわかるものですが、サクラは境目がわからなくなります。若 わか いうちは台木の勢いで成長しますが、そのうちに穂木から出た根が土の中にしっかり張り、根の役割 やくわり の比率がだんだん台木から穂木へと移って、最終的には台木の根は弱るということです。

サクラのあれこれ


サクラの語源

 サクラの語源としては江戸時代から、木花開耶姫 このはなさくやひめ のサクヤが転訛 てんか したものとされてきました。サクヤは「咲き映 は え」の意味だということです。サク(咲く)に接尾語 せつびご のラがついたものという説もあります。ラは多数の集まりを示すムラ(群)が略されたもの。またサキウラ(咲麗)からという説もあり、花の「咲く」ようすから成り立っているとの考え方が有力です。

 他にも以下のような説があります。

   サキムラガル(咲簇)から
   サキハヤ(咲光映)から…よろずの花の中ですぐれて美しい意
   サキクモルから…咲くと花ぐもりとなる
   サクル(裂)から…樹皮 じゅひ が横に裂 さ ける
   サケヒラク(割開)から
   サガミ(田神=穀霊 こくれい)のサ+クラ(座=神の憑 よ りつく所)から
だんぜん木花開耶姫推し!富士山の女神さまですからね♪(ぶっくん説)

薬用としてのサクラ

 サクラの芳香 ほうこう 成分には喘息 ぜんそく を抑 おさ え、痰 たん を取る効果があります。咳 せき 止めにもなり、二日酔 よ いにも効 き くといいます。葉には整腸 せいちょう や下痢 げり 止めの効果が、樹皮 じゅひ にも咳や胃腸 いちょう の病気、腫物 はれもの などに効く効用があるといわれています。「桜皮 おうひ」は漢方薬にも使われる生薬 しょうやく です。

サクラの民間みんかん療法りょうほう

 皮を焼いた灰 はい を飲むと魚中毒に効く。
 樹皮の黒焼きを砂糖 さとう 湯で飲むと船酔 ふなよ いが治る。
 黒焼きにした樹皮を糊 のり か油で練って、腫物に塗 ぬ り吸 すい 出し用とする。
  うるし かぶれにはサクラの樹皮とクルミの樹皮を一緒 いっしょ に煎 せん じた汁 しる で患部 かんぶ を洗 あら う。
 樹皮を煎じた汁は魚の中毒に効く。他に、毒消し、嘔吐 おうと・下剤 げざい、胃病 いびょう、吹出物 ふきでもの、癪 しゃく、のどの痛 いた みにも効く。
 樹皮を噛 か んでその汁をのむと魚中毒に効く。
 枯木を削 けず って毎日飲むと肝臓 かんぞう によい。
 根・皮をすって飲むと胃腸薬 いちょうやく になる。
 葉をすって焼酎 しょうちゅう で練り痛むところへ塗 ぬ っては乾 かわ かし、乾かしては塗るを繰 く り返すうちに、打ち身・くじきが快癒 かいゆ する。葉がなければ皮を粉にしてもよい。
 実の陰干 かげぼ しまたは皮を粉にして水で飲むと、きのこ中毒に効く。

食用としてのサクラ

 私たちが食べものの中に感じる「桜の香り」の正体 しょうたい はクマリンという成分なのですが、サクラそのものからその香りがしているわけではありません。サクラの花や葉を塩漬 づ けにすることによって初めて、「桜の香り」は生まれます。塩漬けの花や葉は、江戸時代末〜明治時代の初め頃 ころ より好まれてきました。サクラの花や葉を利用しやすく加工した各種の食材(パウダーやフリーズドライ、花と葉を一緒 いっしょ にペーストやソースにしたものなど)が作られるようになったことにより、最近では和菓子 わがし だけでなくサクラ風味の洋菓子 ようがし や料理なども、数多く楽しまれるようになっています。
 この他にも、直接食べるものではありませんが、サクラの木材をチップにしたものは、薫製 くんせい 作りによく使われます。

桜花漬おうかづけ

 桜花漬には、紅 べに 色が濃 こ くて大輪 たいりん の八重桜 やえざくら を使います。食用のサクラの花の一大産地、神奈川県秦野 はだの 市の千村 ちむら 地区では「関山 かんざん」「普賢象 ふげんぞう」といった、花びらが30〜50枚の八重桜を栽培 さいばい しています。加工は主に小田原 おだわら の漬物 つけもの 業者が行っていて、梅酢 うめず に浸 ひた してから塩をふり樽 たる に詰 つ めて、3ヶ月以上漬 つ けたものを出荷しています。

桜葉漬さくらばづけ

 桜葉漬に使われているオオシマザクラの多くは、西伊豆 にしいず の松崎町 まつざきちょう で栽培されています。オオシマザクラはクマリンの含有量 がんゆうりょう が高く、明治の末頃 ごろ に桜餅 さくらもち に使われるようになりました。オオシマザクラは繁殖力 はんしょくりょく が強く生育が早い特徴 とくちょう があり、毎年5〜8月に新しく伸 の びた枝の葉を収穫 しゅうかく します。葉を束ねて樽に詰めながら塩をふり、さらに濃い塩水を足して漬け込 こ むと、半年〜1年でしっとりとした葉に漬け上がります。

桜餅さくらもち

 桜餅は、江戸時代の中期に東京・向島 むこうじま の長命寺 ちょうめいじ 門前に創業 そうぎょう した店が発祥 はっしょう といわれています。当時、サクラの名所として知られていた墨田川堤 すみだがわづつみ のサクラの葉を何かに使えないかと、この店の初代が考案したそうです。薄 うす い餅 もち を焼いたものでこしあんを巻 ま いて、塩漬 づ けの桜葉 さくらば で包んだものです。ソメイヨシノはまだ一般的 いっぱんてき ではなく、ヤマザクラのようなサクラだったと考えられ、現在のオオシマザクラの桜葉漬と比べると、もっと小さかったようです。

桜湯さくらゆ

 桜花漬にお湯を注いだ飲みもので、お見合いや結納 ゆいのう などのもてなしに用いられてきました。江戸時代の末頃 ごろ に登場したとの文献 ぶんけん があるそうです。おめでたい場面で「お茶を濁 にご す」ことを嫌 きら って、お茶の代わりに用います。

桜あんぱん

 明治7(1874)年に木村屋が酒種 さかだね あんぱんを売り出したのが、あんぱんの始まりです。その翌年 よくねん の4月4日に、天皇 てんのう 皇后 こうごう 両陛下 りょうへいか がお花見で向島においでになることとなり、お茶菓子 ちゃがし としてあんぱんをお出しすることになりました。そこで、当時高級品でもあった八重桜の塩漬けを奈良の吉野山 よしのやま から取り寄せて、あんぱんの中央に埋 う め込 こ んだものをお出ししたところ、両陛下はお気に召 め され、宮内庁 くないちょう 御用菓子商 ごようがししょう に加えられたという話です。仲介 ちゅうかい 役を務めた山岡鉄舟 やまおか・てっしゅう がこれに感動して自ら揮毫 きごう した「木村家」の看板 かんばん が、現在も木村屋の銀座 ぎんざ 本店に掲 かか げられています。
…というわけで4月4日が 『あんぱんの日』 なんですって。
サクラの知識・番外編の一般いっぱん


食べもの、歌、地名に家紋。暮らしの中のサクラを見つけてみるのも楽しそう♪
 さすがは人気のサクラ、関連する情報も山のようにあります。ここは本当に文字通りの「ちょい足し」ではありますが、まずは一般編をどうぞ!


言い伝え

庭に植えるな 民家の庭木にするものではない。
内庭に植えるな。
屋敷 やしき に植えると家が栄えない。/病人が出て家運が衰 おとろ える。
庭木に植えるとサクラが枯 か れた時に家が滅 ほろ びる。
ヤエザクラを門口 かどぐち に植えると家運が傾 かたむ く。
シダレザクラは寺で植えるものだから、民家には悪い。
利用の禁忌 きんき 家の建築材としては嫌 きら う。花があまりにもろく散ることから。
船材 せんざい にはしない。
 かま、鉋 かんな などの柄 え にしない。/鎌の柄にすると深傷 ふかで をする。
サクラの夢 サクラの咲 さ いた夢は凶 きょう、散る夢は吉 きち
サクラが咲く夢は世間の評判がよいことを示す。
気候と農作 時なしの花が咲くのは変事の起こる前兆、縁起 えんぎ が悪い。
返り咲きする年は不思議 ふしぎ がある。/返り花が咲く年は寒さが厳 きび しい。
花の色が薄 うす ければいつまでも寒い。
花が早い年は冬も早く来る。
豊作となるのは…早く咲く年/よく咲く年/白花の多く咲く年/花の色が早くあせる年/一斉 いっせい にぱっと散る年
凶作 きょうさく となるのは…下向きに咲く年/ヤマザクラの遅 おそ 咲き/芽が不揃 ふぞろ いの年には晩霜 おそじも があり麦・小麦が不作

桜のことば

ことわざ・言い回し 三日見ぬ間の桜 … 世の中の移り変わりは早いもの。桜の花は散りやすいことから。江戸時代の俳人 はいじん・大島蓼太 おおしま・りょうた の句「世の中は三日見ぬ間に桜かな」から。
明日 あす ありと思う心の仇桜 あだざくら  … 今咲 さ いている桜が明日もあるとは限らない。明日がどうなるかはわからない、という世の無常を説 と いた戒 いまし め。親鸞 しんらん の作と伝わる歌「あすありと思ふ心のあだ桜夜半 よわ に嵐 あらし の吹 ふ かぬものかは」の上句 かみのく
五月の桜で葉ばかりさま … 「恐 おそ れ入 い ります」「ご苦労さま」の意味で使う。花がなく葉しかない=葉ばかり=憚り様 はばかりさま
花は桜木 さくらぎ 人は武士 … 花の中で最もすぐれているのは桜、人では武士、ということ。
梅と桜 … 美しいもの、よいものが並 なら んでいることのたとえ。
徒桜 あだざくら  … 桜の花は散りやすいことから、はかないもののたとえ。
姥桜 うばざくら  … 葉が出るより先に花が咲く桜のこと。葉なし=歯なし。また、女盛 ざか りが過ぎても美しく色気 いろけ の残る女性のこと。
桜伐 き る馬鹿 ばか 梅伐らぬ馬鹿 … サクラは幹や枝を切ると弱るが、ウメはよけいな枝を切らないと花実 はなみ がつかない。それぞれの木の特性を表したもの。
「桜」の入った言葉 花の咲く時期に関連した言葉 … 桜鯛 さくらだい(産卵期)、桜烏賊 さくらいか(漁獲 ぎょかく 期)、桜魚 さくらうお (ワカサギや小アユのこと、漁獲期)
花の色に関連した言葉 … 桜貝、桜海苔 さくらのり(オキツノリ)、桜煎り さくらいり・桜煮 さくらに(タコを煮た料理)、桜漬け(赤梅酢 うめずの色)、桜田麩 さくらでんぶ(食紅 しょくべにの色)、桜干し さくらぼし(イワシやアジを開いもの、みりん醤油 じょうゆの色)、桜飯 さくらめし(=茶飯 ちゃめし、醤油の色)桜粥 さくらがゆ(=小豆粥 あずきがゆ
春の季語 … 桜草 さくらそう、桜鱒 さくらます、桜時 さくらどき、朝桜、夕桜 ゆざくら、家桜(人家の庭の桜)、桜人 さくらびと(桜をめでる人)、花疲 はなづかれ(花見に出かけたあとの疲れ)、花巡り はなめぐり(いろいろなところへ花見にいくこと)、桜狩 さくらがり(山野での花見)
 *前出の桜鯛、桜烏賊、桜魚、桜貝、桜海苔も春の季語です。
春以外の季語 … 葉桜(夏)、桜紅葉 さくらもみじ(秋)、寒桜 かんざくら(冬)
美しい言葉 … 桜雲 おううん(桜の花が一面に咲いて白雲のように見えること=花の雲)、こぼれ桜(散ってこぼれ落ちる桜の花、その模様 もよう)、遠山桜 とおやまざくら(遠くの山に咲いている桜)、桜彩 さくらだみ(桜色にいろどること)
サクラの花言葉 サクラ全般 … 精神の美(ワシントンが誤 あやま ってサクラの木を切ってしまったことを父に正直に告白した逸話 いつわ から。この逸話はのちの創作 そうさく とも)、優美 ゆうび な女性(満開の木は一本でも優美なことから)
ヤマザクラ … あなたにほほえむ
シダレザクラ … 優美
ソメイヨシノ … 純潔 じゅんけつ、すぐれた美人

西行さいぎょうとシダレザクラ

  ねがはくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

 これは広く知られた西行の歌です。この歌の世界観に共感を覚える日本人は多いことでしょう。
 西行は平安後期の帝 みかど に仕 つか える武士でしたが、若くして出家 しゅっけ していくつかの土地で庵 いおり を結び、のちに全国を行脚 あんぎゃ して多くの歌を詠 よ みました。桜と吉野山 よしのやま を愛した西行は、桜の歌を数多く遺 のこ し、生涯 しょうがい で詠んだ2000首あまりの歌のうちの230首が桜の歌だったということです。

 そんな西行とシダレザクラについて書かれたものを紹介 しょうかい します。

西行桜 ─ シダレザクラの可憐さ

 その西行だが、京都と大阪の南河内にそれぞれ「西行桜」と名付けられた名桜がある。一つは洛西の通称花の寺・勝持寺で、…(略)…
 西行は保延6年(1140)、この寺に入って出家している。保延6年といえば崇徳帝治下の文学サロンの最後の年である。…(略)…春、この参道はヤマザクラの花盛りになる。花の寺の名称はこのヤマザクラに負っている。その歌人としての生涯を桜愛に生きた西行が出家した寺にいかにもふさわしい。かつて、山中の本堂前には、西行手植えの西行桜があったが枯死し、現在のさくらは新たに植樹されたものだ。花は平安末期から鎌倉初頭にかけて、貴族たちに愛されたシダレザクラであった。
 …(略)…有名な近衛(このえ)の糸桜はこのシダレだった。おそらくこの新しいさくらは、その樹相と愛らしさから平安の貴族たちを魅了したに違いない。
 西行もその一人だったろうか。
 …(略)…
 シダレザクラの雨に濡れるとき、また、朧月夜にその白い可憐な花を浮かびあがらせるとき、そこにはヤマザクラにはない繊細な、いわば雅といった風趣がある。ヤマザクラと大きく異なるのは、開花の後に嫩葉(わかば)の芽立ちが見られることだ。つまり、ヤマザクラのように嫩葉と花が同時に混在することなく、その細く伸びた枝に花だけが開花する。その風姿にはヤマザクラに見られた野生が充分矯(た)められている。貴族たちが競ってこの新しい品種のさくらを愛したのは珍しさではなく、彼らの心情をそのまま花の形にして見せた理想のさくらだったからであろう。西行のさくらがシダレザクラであったことはむしろ当然過ぎて、多弁を要さないだろう。
 その西行桜はもう一個所ある。そこは大阪の南河内郡の河南町の弘川寺(ひろかわでら)で、…(略)…
 文治6年(1190)2月16日、この弘川寺で73歳の生涯を終えている。
 …(略)…
 弘川寺の寺歴は古い。天智帝の4年(665)、あの吉野山開山の役小角が、ここで薬師像を刻んて安置したのを開基とする。ということは、吉野のさくらにゆかり深い寺であり、また、西行の仕えた鳥羽院の病気平癒を祈った勅願寺だったことも、いかにもさくらの唯美者にふさわしい終焉の地だった。

小川和佑著 『桜の文学史』 * 漢数字をアラビア数字表記に変えてあります。
サクラの知識・番外編の身延編


みのワンという名の強力なライバルが登場。ぶっくんも、ますますがんばらねば。切磋琢磨です!
 最後を飾 かざ るのは、サクラにまつわる身延のちょい足しです。いつか実施 じっし されるかも知れないミノケン(みのぶ検定)を目指す人は必読!


身延のシダレザクラ

 身延町の身延地区(旧身延町)にはたくさんのシダレザクラがあります。その一部を紹介 しょうかい しましょう。

身延山久遠寺 くおんじ のシダレザクラ(写真左) … 樹齢 じゅれい 400年の大樹 たいじゅ で、身延を代表するシダレザクラです。

身延山西谷 にしだに のシダレザクラ(写真右) … 三門の左手、西谷参道沿 ぞ い一帯に、樹齢300年の木25本が一斉 いっせい に咲 さ きます。久遠寺境内 けいだい から見下ろすのもよい眺 なが めです。

鏡円坊 きょうえんぼう のシダレザクラ … 樹高 じゅこう 13m、根元の周囲3.5m、目通り幹囲 かんい(目の高さの幹周り)3.75m。枝張りは各方角に7〜11.5m。県指定天然記念物。本堂裏 うら の北急斜面 しゃめん にあり、上部の枝の垂 た れ方は短いですが、下部の枝は長く垂れ下がります。色が濃く、見頃 みごろ は3月下旬 げじゅん 〜4月上旬 じょうじゅん。県下2番目の巨樹 きょじゅ で、樹齢 じゅれい 400〜500年といわれています。境内には他にも多くのサクラが咲き乱 みだ れます。

大野山本遠寺 ほんのんじ のシダレザクラ … 樹高16m、根元の周囲3.4m、目通り幹囲2.9m。町指定天然記念物。庫裡 くり 裏の東斜面にあり、地上5mで幹が3つに分かれています。他のシダレザクラより開花が早く、見頃は3月下旬。

善行寺 ぜんぎょうじ のシダレザクラ … 樹齢400年。花色が良く、何種かの宿り木 やどりぎ で有名。周辺にもサクラがたくさんあります。

波木井山 はきいさん 円実寺 えんじつじ のシダレザクラ … 樹齢300年。4本あり、花弁 かべん はやや白色で、他と比べて花の数が多い特徴 とくちょう があります。

朝日堂のシダレザクラ(写真左) … 樹齢400年。身延山のシダレザクラと同種とされています。

桜清水 さくらしみず のシダレザクラ(写真右) … 樹齢150年。樹木、花弁のバランスがよい木です。日蓮聖人 にちれんしょうにん の杖立 つえたて 伝説のサクラです。次の 『サクラの知識・番外編の「身延編」その2』 で紹介しています。

 中富地区にも町の指定天然記念物のシダレザクラがあります。

江尻窪 えじりくぼ のイトザクラ(写真) … 目通り幹囲が3m以上、途中 とちゅう で3つに分かれた幹から伸 の びた枝が下がって花をつける姿 すがた が壮観 そうかん

矢細工 やざいく のイトザクラ … 目通り幹囲3.1mの見事な巨木。傍 かたわ らには同じく町指定天然記念物のヒムロの木があります。

 ここで紹介したもの以外にも、いろいろな場所でシダレザクラや違 ちが う種類のきれいなサクラを見ることができます。ぜひ身延町サクラめぐりをしてみてください。

 サクラが出てくる身延のお話、身延に関係のあるお話を紹介 しょうかい しましょう。

桜清水さくらしみず

 身延町を始めとして山梨県内に多く残る、日蓮聖人 にちれんしょうにん の杖立 つえたて 伝説のひとつです。
 日蓮聖人が御入山 ごにゅうざん の折に、真言宗 しんごんしゅう の寺で休息しました。その際に老婦 ろうふ に水を乞 こ うて渇 かわ きを癒 いや されました。その水を、天の甘露 かんろ もかくや、と賞して、桜の杖 つえ を泉 いずみ のほとりに立てたところ、成長したということです。その寺は、のちに日蓮宗 にちれんしゅう に改宗 かいしゅう しました。(豊岡 とよおか 地区横根のお話)
 *写真は実教寺祖師堂の井戸(右)とサクラの木(左)です。花のない季節のサクラの木です。

御会式桜おえしきざくら

 身延山で暮 く らしていた日蓮聖人が弘安 こうあん 5(1282)年に病気のため山を降 お りて、南部実長 なんぶ・さねなが の二男、実氏 さねうじ の所領である常陸 ひたち の隠井 かくらい の湯へと向かいました。その道中、江戸の池上宗仲 いけがみ・むねなか  てい に立ち寄った時に病気が悪化し、その地で入滅 にゅうめつ しました。10月13日のことです。その時から、毎年その時期になると庭にあった桜が咲くようになったといわれ、御会式桜と呼 よ ばれています。
 現在、「十月桜」という品種で10月に開花するサクラがあります。1990年頃に池上本門寺 いけがみほんもんじ の御会式桜の調査が行われ、その十月桜であることが確認 かくにん されました。

豆まき桜

 八幡 はちまん 神社へ行く途中に樹齢 じゅれい 千数百年という桜の古木があって、「豆まき桜」と呼ばれていました。西河内 にしかわうち や鴨狩 かもがり では「豆まき桜が咲いたら豆をまけ」と言って目安にしていました。その木は、今はもうありません。その桜の切り口は八畳敷き はちじょうじき もあって、職人が一週間がかりで切ったと伝えられています。(久那土 くなど 地区道のお話)

あちこちに散りばめられたサクラ

身延町立図書館がある身延町総合文化会館の、ホールの緞帳 どんちょう を見たことがありますか? そこには一面に、咲き匂 にお うシダレザクラが描 えが かれています。幻想的 げんそうてき な雰囲気 ふんいき  ただよ うこの緞帳は、1996年の会館オープン時に名誉 めいよ 町民の望月小太郎 もちづき・こたろう さんから寄贈 きぞう されました。ブッポウソウのつがいが舞 ま う姿 すがた もお見逃 のが しなく。

「ブッポウソウ」のページ(ぶっぽうそうの知識・番外編その1)で、2016年に町内4中学校が統合して新しく誕生 たんじょう した身延中学校の校章には、モチーフとしてブッポウソウが使われている、ということを紹介 しょうかい しました。そこでも少し触 ふ れていますが、サクラの花びらもモチーフになっています。シダレザクラの花びらですよ。

また、2021年3月、身延町の公式マスコットキャラクターが誕生しました。「みのワン」といいます。みのワンには、身延の特産・名産が散りばめられています。みのワンのかわいい眉毛 まゆげ、サクラの花びらなのです。町のシンボルからは唯一 ゆいいつ、栄 は えあるセレクションです。