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身延町民の著作 |
みのぶちょうみんのちょさく |
身延町立図書館にある資料です。 貸出ができます。 |
身延町立図書館にある資料です。 貸出はできませんが、 館内で閲覧することができます。 |
芸 術 ・ 技 術 |
河西万文さん(かわにし・かずのり 1936〜) | ||
寺沢出身の版画家。 東京藝術(げいじゅつ)大学卒業、都留(つる)文科大学名誉教授。 大橋賞をはじめ各種の賞を受け、個展を開催するなどの活発な活動をしています。 山梨県版画協会を結成し自ら会長となって活躍するとともに、美学会、教育学会員として研究を進め、多くの論文や版画技法の文献を出版しています。(『中富町誌』などより) | |||
■河西万文 古文書に見る 甲府城物語 天守閣は存在していた |
『甲府城物語』刊行会 2009(平成21)年9月 |
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■河西万文 河西万文銅版画的世界 |
香港新文化出版社 2003(平成15)年 |
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■河西万文 版画教育の構成 美術教育の理念とその構成 |
岩森書店 1985(昭和60)年3月 |
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■河西万文 画人司馬江漢の研究 |
岩森書店 1982(昭和57)年12月 |
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望月勅雄さん(もちづき・ときお 1930〜) | |||
身延生まれの水墨(すいぼく)画家。 国際書画連盟理事、山梨文化学園講師を務めています。 平成3(1991)年の郵便局退職後に水k墨画を始めました。 地元を中心に個展を開き、数々の賞を受賞、講演や講師などの活動もしています。 平成15(2003)年に山梨県地域で発売された寄附金付年賀はがきに『初春の富士』がとりあげられました。 平成18(2006)年に南部町楮根(かぞね)に望月勅雄水墨画展示館、水墨画ギャラリー「墨酔(ぼくすい)」がオープンしました。 | |||
■望月勅雄 墨絵が語るふるさと 望月勅雄水墨画集 |
山梨日日新聞社 2005(平成17)年8月 |
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季刊水墨画 No.104 ふるさとを描く ・郷土の画家「山里の民家を描く」望月勅雄 |
日貿出版社 2003(平成15)年4月 |
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米山曼舞子さん(よねやま・ままこ 1935〜) | |||
身延仲町出身のパントマイム役者。 平成2(1990)年に旧芸名ヨネヤマママコから改名しています。 東京教育大学体育学部卒業、昭和35(1960)年に渡米し全米各地で大学講師を務めました。 帰国後は「ママコ・ザ・マイムスタジオ」を設立し、公演活動、後進の指導にあたっています。(『山梨県人物・人材情報リスト』より) | |||
■ヨネヤマママコ 砂漠にコスモスは咲かない |
講談社 1977(昭和52)年9月 |
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笠井東太さん(かさい・とうた 1905〜1969) | |||
西嶋生まれ。 身延高校教諭を勤めたのち、家業の和紙販売に就(つ)きました。 西島和紙の歴史に熱心にとりくみ、村方文献を整理保存し、実証的研究をまとめ著作を大集成しました。(『中富町誌』より) | |||
■笠井東太 西島紙の歴史 |
西島手すき紙工業協同組合 1957(昭和32)年 |
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片田義光さん(かただ・よしみつ 1926〜2014) | |||
和田在住。 昭和48(1975)年より5期20年にわたり山梨県議会議員を務め、県議会副議長、県農林委員長、県総合福祉計画審議委員などを歴任しました。
平成2(1990)年より身延の竹をドラム缶でやき始め、竹炭(ちくたん)研究会を発足、平成11(1999)年には身延竹炭企業組合を設立、理事長を務めています。(『竹炭をやく生かす伸ばす』などより) 身延竹炭企業組合 |
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■片田義光 竹炭をやく生かす伸ばす |
創森社 2002(平成14)年5月 |
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伊藤綾子さん(いとう・あやこ) | |||
身延出身のファッション・デザイナー。 文化女子短期大学服飾学科(現文化女子大学)卒業。 昭和50(1975)年ロンドンに移住し、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションで学びました。
テレビ番組のレギュラー出演、産経新聞家庭面の洋裁指導連載などもしています。 平成15(2003)年「AYAKO年齢不問の会」を設立し、会長に就任しました。
「アヤコ年齢不問」「アヤコPG」のブランドを確立、年齢不問のAYAKOの店を東京・中野にオープンしています。(WEBサイト『婦人服のオーダーメイド - 伊藤綾子のウェブサイト』より) 婦人服のオーダーメイド - 伊藤アヤコのウェブサイト |
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■伊藤綾子 アヤコ年令不問の PGファッション物語 |
産経新聞出版 2010(平成22)年12月 |
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「生涯おしゃれ楽しんで」 デザイナー伊藤綾子さん(身延出身)が著書 高齢者向けにポイント紹介… (山梨日日新聞 2011年2月4日に紹介記事) |
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■伊藤綾子 ステキなおばあちゃん増えちゃうゾ |
サンリオ 1984(昭和59)年9月 |
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■伊藤綾子 アヤコのやさしい女の服作り 年齢不問/木綿編 |
サンリオ 1983(昭和58)年1月 |
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文 学 ・ 句 集 |
小林波留さん(こばやし・はる - 本名小林春利 - 1929〜2011) | ||
市之瀬生まれ。 昭和24(1949)年に東京繊維(せんい)専門学校(現東京農工大学)を卒業した後、山梨県職員として勤めました。 昭和25(1950)年に俳句を始め、堤俳一佳(つつみ・はいいっか)氏、木村蕪城(きむら・ぶじょう)氏の指導を受け、「夏草」に入会して山口青邨(せいそん)に師事しました。 昭和32(1957)年に俳句雑誌「幹」を創刊し、主宰(しゅさい)となります。 昭和48(1973)年より26年間、甲府刑務所にて篤志(とくし)面接委員俳句指導を担当しました。 夏草新人賞、夏草功労賞を受賞しています。(『山住雑記』などより) | |||
■小林波留 続 山住雑記 |
2005(平成17)年4月 | ||
■小林波留 自註現代俳句シリーズ 小林波留集 |
俳人協会 2003(平成15)年7月 |
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■小林波留 微笑仏 小林波留第二句集 |
幹の会 1986(昭和61)年 |
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■小林波留 山住雑記 小林波留文集 |
幹の会 1984(昭和59)年 |
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■小林波留 俳句鑑賞 山居雑筆 |
幹の会 1982(昭和57)年11月 |
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■小林波留 山家三戸 小林波留句集 |
1979(昭和54)年 | ||
米沢幸男さん(よねざわ・ゆきお 1932〜) | |||
昭和37(1962)年、『少年オルフェ』で第3回講談社児童文学新人賞を受賞しました。 『少年オルフェ』は、昭和40(1965)年と昭和47(1972)年の2度、NHK総合テレビでドラマ化されました。(『少年オルフェ』などより) | |||
■米沢幸男 少年オルフェ |
講談社青い鳥文庫 1981(昭和56)年4月 |
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佐野澄江さん(さの・すみえ 1925〜) | |||
波高島生まれ。 山梨県立師範学校卒業。 山梨県PTA評議員理事、山梨県連合婦人会理事、下部町男女共同参画プラン推進委員会会長などを歴任しています。
昭和50(1975)年、下部婦人俳句会(のちの下部句会)に入会し、小林波留さんに師事しています。(『亡父の背広』より) 句集『亡父の背広』では巻頭の序を小林波留さんが記しています。 |
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■佐野澄江 亡父の背広 佐野澄江句集 |
2004(平成16年)12月 | ||
山田省吾さん(やまだ・しょうご 1940〜) | |||
道在住。 中央大学卒業後、県立学校教員として増穂商業、身延、甲府東、市川の各高等学校に勤務しました。 昭和52(1977)年に俳誌『裸子(はだかご)』に入会し、主宰堤俳一佳氏、堤高嶺(つつみ・たかね)氏に師事し、昭和59(1984)年に同人となりました。 県立図書館資料課郷土資料担当副主幹も務め、退職後の現在も身延町の教育や文化のために尽くしています。 当地域資料のサイトでは、古文書の解読などに多大な助力をいただいています。(『葛の花』などより) | |||
■山田省吾 葛の花 |
2003(平成15)年3月 |
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自 分 史 ・ 随 筆 |
片田政一さん(かただ・まさいち 1928〜2011) | ||
上大島在住。 身延中学校(現身延高校)、法政大学卒業後、岳南鉄道株式会社に入社。 昭和39(1964)年には大和印刷株式会社を設立しました。
昭和46(1971)年から5期20年にわたり身延町議会議員を務め、身延町議会議長、県町村議長会理事、甲府家庭裁判所家事調停委員、鰍沢家庭裁判所民事調停委員などを歴任しました。(『母に捧げる詩』より) 『母に捧げる詩』に収録された「初恋物語」「続・初恋物語」「離婚調停室」は山梨日日新聞文芸欄の入選作です。 片田政一さんのブログ 『小説とエッセイ』 |
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■片田政一 母に捧げる詩 |
文芸社 2006(平成18)年9月 |
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樋口是亮さん(ひぐち・ぜりょう 1960〜) | |||
身延生まれ。 覚林坊(かくりんぼう)の住職で、平成19(2007)年に第42世の法灯(ほうとう)を継承しました。 多趣味で知られるお坊さんで、そのなかでも40年に及ぶキャリアを誇る釣りに関しては、エッセイが雑誌『Outdoor』(山と渓谷社)に連載され単行本化されています。 樋口是亮さんのWEBサイト 『釣り坊主がゆく』 |
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■ひぐち日誠 ギャンブル坊主がゆく 麻雀激闘記 人生に必要なことは、すべてギャンブルで学んだ!? |
彩流社 2013(平成25)年5月 |
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■ひぐち日誠 釣り坊主、今日もゆく |
山と渓谷社 2006(平成18)年3月 |
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■ひぐち日誠 釣り坊主がゆく |
山と渓谷社 2002(平成14)年2月 |
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教 育 ・ 社 会 ・ 歴 史 |
深沢泉さん(ふかさわ・いずみ 1909〜1998) | ||
切石出身。 昭和4(1929)年に山梨師範学校を卒業しました。 文部省の派遣(はけん)により上海(シャンハイ)同文書院で中国語を専攻、南京(ナンキン)国立師範に招かれ日本語の教科書編纂(へんさん)を担当、上海日本中学校でも教諭として勤務しました。 帰国後は県内高校の教諭、教頭、校長として勤めました。 山梨方言研究会会員、山梨県方言緊急調査委員などにも就いています。 昭和45(1970)年、旺文社学芸コンクールにて小説『唐以王(とういわん)』が文部大臣賞を受賞しています。(『甲州方言』『中富町誌』より) | |||
■深沢泉 甲州方言 増補改訂 |
甲陽書房 1979(昭和54)年 |
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■深沢泉 唐以王 |
1970(昭和45)年4月 | ||
■深沢泉 甲州方言 |
地方書院 1961(昭和36)年 |
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波木井やよいさん(はきい・やよい 1928〜2010) | |||
身延出身。 深川(東京都江東区)で育ちましたが、昭和20(1945)年、郷里の身延に疎開(そかい)し、山梨師範学校女子本科を卒業しました。
山梨で3年、東京で25年、公立小学校に勤務しました。 公民館、学校、図書館、幼児教育の場などで、子どもの本の普及活動に尽くされました。(『読み聞かせのすすめ』より) 身延町立図書館には、平成13年に波木井さんから寄贈された3150冊ほどの児童書や絵本の蔵書があります。 |
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■波木井やよい 《読みきかせ》ボランティア入門 |
国土社 2006(平成18)年7月 |
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■波木井やよい 読み聞かせのすすめ 子どもと本の出会いのために |
国土社 1994(平成6)年12月 |
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赤池英至さん(あかいけ・ひでよし 1923〜) | |||
大磯小磯生まれ。 峡南農工学校(現在の峡南高等学校)、県立青年学校教員養成所を卒業。 古関、鰍沢などの中学校教諭を経て、山梨県教育委員会に勤務しました。 社会教育に力を注ぎ、山梨大学や信州大学などで講師も務めました。 退職後も県国際文化交流会会長、県社会教育振興会会長、中国四川省人民対外友好交流協議会会長、やまなし生涯学習まちづくり研究会会長など、多くの役職を歴任し、さまざまな分野で活躍しています。(『私の歩いた道』より) | |||
■赤池英至 歩けば道になる |
2006(平成18)年 | ||
■赤池英至 私の歩いた道 |
2006(平成18)年 | ||
高山一行さん(たかやま・かずゆき 1929〜2003) | |||
帯金生まれ。 小学校教諭として勤めたのちに、身延町内、特に帯金地区の郷土史や民俗についての研究に携(たずさ)わりました。 | |||
■高山一行 身延参詣記拾遺 |
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加藤為夫さん(かとう・ためお 1923〜2007) | |||
下山生まれ。 立正大学卒業後、昭和58(1983)年まで県立高校教諭を務めました。 旧身延町文化財審議委員、町誌編集委員なども務め、地域の歴史や文化の研究に尽くしました。(『富士川谷物語』などより) | |||
■加藤為夫 加藤国広[編] 兵営記 |
2012(平成24)年3月 | ||
■加藤為夫 下山大工史資料 |
2003(平成15)年2月 | ||
■加藤為夫 富士川谷物語 |
山梨日日新聞社 1987(昭和62)年5月 |
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郷土史にかがやく人々 集合編(U) | 青少年のための山梨県民会議 1980(昭和55)年1月 |
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■甲斐黄金村・湯之奥金山博物館[編] 金山史研究 第5集 |
甲斐黄金村・湯之奥金山博物館 2005(平成17)年3月 |
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・平成14年度公開講座 加藤為夫さん 演題『毛無山中山金山遺跡出土陶磁所見』 |
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宗 教 |
上田本昌さん(うえだ・ほんしょう 1930〜) | ||
下山生まれ。 昭和27(1952)年より上沢寺の住職を務めています。 身延山高等学校教諭、身延山短期大学教授、日本仏教学会理事、身延山久遠寺執事、立正大学仏教学会監事、身延山大学名誉教授などを歴任しています。 また、旧身延町の町誌編集執筆委員、社会教育委員、選挙管理委員、文化協会会長など多くの役職を歴任し、地域の文化や教育に尽力しています。(『日蓮聖人と法華仏教』より) | |||
■上田本昌 上田本昌博士喜寿記念論文集刊行会[編] 日蓮聖人と法華仏教 上田本昌博士喜寿記念論文集 |
大東出版社 2007(平成19)年2月 |
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■上田本昌 身延の日蓮聖人 |
銀杏堂 1999(平成11)年6月 |
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■上田本昌 心の扉を開こう |
銀杏堂 1989(平成1)年 |
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■上田本昌 日蓮聖人の救済観 |
国際情報社 1982(昭和57)年9月 |
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町田是正さん(まちだ・ぜしょう 1930〜) | |||
静岡県浜松生まれ。 5歳のとき身延山の小坊へ入り仏縁を結びました。 昭和28(1953)年に立正大学卒業後、昭和33(1958)年まで中国法制史の研究に携わりました。 身延山短期大学教授、同校理事、日蓮宗常任布教師など多くの公職に就いています。(『身延山秘話外史』より) | |||
■町田是正 日蓮聖人にみる宗教思想 |
宝文館 1993(平成5)年4月 |
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■町田是正 身延山秘話外史 |
宝蔵院延寿坊 1990(平成2)年 |