仕来を相振義定違変押掠軒別出入 文政14年(1817) 4/8

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【解読文】

 より 八幡宮御神前江参詣之節先達案内之儀ハ
 先前仕来義定書之通り順々年番ニ相勤来候間
 去子年者竹下町之先達案内番ニ相当り罷在候儀を番
 匠小路彦五郎と申者発端人ニ而事差配シ同町之者致一味
 理不人之儀申懸ヶ猶又先達案内之儀も不相成由致故障
 候故不得止事竹下町ニ而茂従古来之義定帳並町順之
 儀を申出候趣者右義定帳年久敷相立候故寛政
 元年酉之七月相談を以古来之通り相認町々惣代之
 名前江抜指等いたし是迄睦敷永年相勤来候所去
 子ノ七月祭礼之砌俄ニ番匠小路之者申争ひ事起シ夫
 より六町之者番匠小路江致一味同心先達案内之儀を先
 帳ニ背き荒町より山ひたい江相廻シ七町同腹ニ而祭礼仕候故
 残心ニ者候得共差控江罷在候誠ニ多勢を以少勢を押掠メ
 候段其侭ニ難捨置早速 村役元江右之始末願出候
【読み下し文】

 より 八幡宮御神前へ参詣の節先達案内の儀は
 先前仕来り義定書の通り順々年番に相勤め来たり候間
 去る子年は竹下町の先達案内番に相当たり罷在り候儀を番
 匠小路彦五郎と申す者発端人にて事差配し同町の者一味致し
 理不尽の儀申し懸け猶又先達案内の儀も相成らざる由に故障致し
 候故止む事を得ず竹下町にても古来の義定帳に従り並びに町順の
 儀を申し出候趣は右義定帳年久しく相立候故寛政
 元年酉の七月相談を以て古来の通り相認め町々惣代の
 名前へ抜き指等いたし是れ迄睦まじく永年相勤め来たり候所去る
 子ノ七月祭礼の砌り俄かに番匠小路の者申し争い事起こしそれ
 より六町の者番匠小路へ一味同心致し先達案内の儀を先
 帳に背き荒町より山ひたいへ相廻し七町同腹にて祭礼仕り候故
 心残りには候えども差し控え罷在り候誠に多勢を以て少勢を押し掠め
 候段その侭に捨て置き難く早速 村役元へ右の始末願い出候

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