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身延に遺る作品

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金龍寺・日蓮聖人像 ]

■金龍寺・日蓮聖人像

 第3回の?語彙集国から丸畑へ戻ってきた木喰上人は、まず最初に永寿庵(えいじゅあん)を修理し五智如来(ごちにょらい)像を造って納めました。 その直後と考えられる時期に、帯金(おびかね)の塩之沢(しおのさわ)地区にある金龍寺(きんりゅうじ)で日蓮聖人(にちれんしょうにん)の像を造りました。
 帯雲山金龍寺は日蓮宗のお寺です。 木喰さんは?語彙集言宗(しんごんしゅう)のお坊さんでしたが、日本廻国においては宗派にとらわれない参詣(さんけい)をしました。 とはいえ、日蓮聖人を刻んだものは、金龍寺のほかには見当りません。 日蓮宗総本山のある身延と、そこから遠からぬ地に生を受けた木喰上人。 木喰さんのあずかり知るところではありませんが、合併(がっぺい)後のいまの身延町にとり、これほど大切な結びつきはないかも知れません。
日蓮聖人像 日蓮聖人像
寛政13(1801)年1月12日(83歳)
高さ 25cm 材質:くすのき
昭和44(1969)年9月 町文化財指定
日蓮聖人像(背面)

 日蓮聖人像の背面(はいめん)には、「寛政十二庚申歳正月十二日成就」と記されています。 しかし、木喰さんが寛政12年の正月を静岡県の引佐(いなさ)で迎えたことは、木喰さん自身の記録に遺されており、甲斐(かい)の国に足を踏み入れるのはその年の9月になってからのことです。 木喰上人の足跡(そくせき)をたどる上でのあいまいな部分のひとつですが、「寛政十三辛酉歳正月」の誤(あやまり)りではないか(あるいは理由があり、意図的にこのようにしたのではないか)、という説の方が、つじつまが合うようです。

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