身延の民話



 さかさいちょう  さかさいちょう
 日蓮聖人との法論に負けた小室山の善智法師が、弟子を遣わし上沢寺(じょうたくじ)で聖人に毒入りの萩もちを出した。聖人がその一つを白犬に与えたところ血を吐いて死んだため、境内に葬り銀杏の杖を立てた。大木となった銀杏は、枝が下を向いているため「さかさいちょう」と呼ばれている。(身延町誌)

【同じお話】富士川谷物語「上沢寺のさかさ銀杏」 富士川流域を歩いて
【地区・地名】下山(下山) 【ジャンル】人物譚 【キーワード】日蓮聖人 杖立伝説

実教寺祖師堂前の井戸(右)と桜の木(左)
 桜清水  さくらしみず
 御入山の折、真言宗の寺で日蓮聖人が休息した際に老婦に水を乞い、渇きを癒された。その水を天の甘露もかくやと賞し桜の杖を泉のほとりに立てたところ成長した。寺は後に日蓮宗に改宗した。(身延町誌)

【地区・地名】豊岡(横根) 【ジャンル】人物譚 【キーワード】日蓮聖人 杖立伝説

 桟敷松  さじきまつ
 馬場平に桟敷松という巨木があった。楠垈のある大家は先祖が平家の落武者であるところから武術を怠らず、十五所神杜の祭典日には流鏑馬(やぶさめ)を奉納していた。この松を利用して桟敷をしつらえ見物人の席にしたためこの名がついたという。(下部町誌)

【地区・地名】古関(馬場平) 【ジャンル】自然 

日蓮聖人の御腰掛石
正慶寺
 粟冠の鰍  さっかのかじか
 御入山の折、川岸で休憩していた日蓮聖人に老婆が中食にと粟飯を供したが、汁の中に鰍が入っていた。聖人は食べ終わってから川で口をすすいだ。後に、粟粒を頭につけた鰍が現われるようになった。老婆の家は聖人に「粟冠」の姓を授けられた。(身延町誌)

【地区・地名】豊岡(相又) 【ジャンル】人物譚 【キーワード】日蓮聖人

 三条院淵  さんじょういんぶち
 下岩欠(いわかけ)にいた修験道の行者が毎日水垢離(みずごり)の修行をした淵を三条院淵という。厳寒の候の氷を割っての行は、村人達も合掌して見守ったという。今は土砂に埋もれ静かな音の浅瀬となっている。(下部町誌)

【地区・地名】下部(岩欠) 【ジャンル】言い伝え 

 三人乞食と五文鳥  さんにんこじきとごもんどり
 三人連れの乞食が道端で五文鳥という大福餅をひとつ拾った。三つに分けようとしたが難しく、最初に餅を見つけて拾い上げた乞食が「三日月様がお上がりなさる」と三日月型に食べ残すと、次の乞食が「三日月様がおへんなさる」と全部食べてしまった。最後の乞食は「俺は闇か」と言った。(旅と伝説)

【ジャンル】笑い話 

 紫雲山の天狗様  しうんざんのてんぐさま
 疫病で矢細工(やざいく)の村民が苦境に陥っていた頃、富士見山周辺に紫雲が漂い不気味な光を放っていた。福寿院の住職が「富士見山の周辺に疫病神がいて怒り嘆いている。神様を供養しお慰めしなさい」と言うので、村民は住職と富士見山に登り大祭典を続けると、紫雲は去り疫病も治まり豊作となった。村人は富士見山を紫雲山、周辺の神を天狗神と名づけた。(中富町誌)

【同じお話】ふるさと中富のはなし
【地区・地名】曙(矢細工) 【ジャンル】神仏 

 塩が池  しおがいけ
 駿河から来た塩売りの娘が、好きな男に駆け寄ろうとして足を滑らせ、荷物もろとも池に転げ込んでしまった。娘はすぐ救い出されたが、塩は全部水に溶けてしまった。その時からこの水は塩辛くなって「塩が池」と呼ばれるようになった。今もわずかに塩辛い味がするという。(下部町誌)

【地区・地名】久那土(上田原) 【ジャンル】言い伝え 

 塩の川  しおのかわ
 昔、塩を背負った人が川の付近で転び大けがをして死んだ。今でもこの川の水は塩辛く、飲むと死ぬと伝えられている。(身延町誌)

【地区・地名】下山(粟倉) 【ジャンル】怪異 

 自我偈の力  じがげのちから
 大月の山奥で働いていた大工の間でなくなりものがあって大騒ぎになり、身延出身の大工が幾日も自我偈を唱え続けたところ、ある朝なくなったものが置かれていた。(ふるさと身延第2集)

【ジャンル】神仏 

 地神さん  じがみさん
 江戸の終わり頃、三人のやくざ者が相又(あいまた)に来て裕福そうな三軒の家に押し入った。最初の家の主人は気丈な人で、下男と共に賊を捕え馬の飼料を煮ていた大釜に押し込み煮殺した。次の家でも主人に捕えられ、槌で頭を叩き潰された。最後の家でも主人や下男に取り押えられ、飼葉桶を頭に被せられ上から鋸で挽き殺された。三軒の家の人たちは三人の霊を弔う意味で祠を建て、地神さんとして供養した。(ふるさと身延第2集)

【同じお話】富士川谷物語「地神さんにされた三人の侍」
【地区・地名】豊岡(相又) 【ジャンル】由来 

二の池(『広報みのぶ』より)
 七面山の池  しちめんさんのいけ
 信州のきこりが七面山で迷い、見ると目がつぶれるといわれる第七の池に出た。紫の花をむしって池へ投げたとたん、静かだった水面が渦巻き、竜が出て天上した。一目散に麓に逃げ下った樵は斧を置き忘れたので、その斧が発見されたらそこが第七の池だという。(身延町誌)

【同じお話】身延町のむかしばなし
【地区・地名】身延(七面山) 【ジャンル】言い伝え 【キーワード】身延山

 しののめの滝  しののめのたき
 湯之奥(ゆのおく)金山がにぎやかだった頃、役人がすべてを取り締まり、掘った金は富士川舟運で運んでいたが、金を運ばせては下山のどこかへ隠していた悪賢い役人がいた。「朝日照り 夕日輝く しののめの滝」という言い伝えから村人たちがその滝を探し、三つある滝のいちばん奥ではないかと掘ってみると、金ではなく骨が出て来たという。(身延町のむかしばなし)

【地区・地名】下山(下山) 【ジャンル】言い伝え 【キーワード】湯之奥・栃代金山 歌や呪文・言葉の遊び

右の嶺が醍醐山頂
屏風岩
 しののめの滝と長者屋敷  しののめのたきとちょうじゃやしき
 屏風岩(びょうぶいわ)の上に住んでいた長者様の夫婦には美しい娘がいたが、病に臥せていたので、長者様は富士川対岸のしののめの滝に向かい娘の快復を祈った。その夜、雨の中を旅の若者が訪れ、七日のうちに娘の病気を治し、名乗らず立ち去った。娘が若者と夫婦になりたがったので長者様は大滝に手を合わせると、夢に若者が現われ「恋しくば たずね来てみよ 入り日山 朝日にはえる しののめの滝」と言い姿を消した。夫婦と娘は大滝を目指し、滝の淵に来て「婿殿」と呼ぶと若者が現われ、娘の手を引いて消えると滝つぼに雌雄の大鯉が睦まじく遊んでいた。夫婦は滝の前に庵を結び、滝守として一生を送った。(身延町のむかしばなし)

【地区・地名】原(宮木) 下山(下山) 【ジャンル】不思議 【キーワード】富士川・屏風岩 歌や呪文・言葉の遊び

 地元の味噌なめ地蔵  じもとのみそなめじぞう
 八日市場の大聖寺(だいしょうじ)に奉遷しようと下部方面から運ばれて来た地蔵菩薩が、下田原(しもたんばら)の坂下に来るとにわかに重くなり動かなくなった。軽くしようと石工が削ると多量の血が出たので、この地に祠を建て安置した。お地蔵さんの傷に味噌を塗ったところ傷口が元通りになったことから、怪我などの患部に味噌を塗り祈願するようになり、味噌なめ地蔵さんと呼ばれるようになった。(中富の民話)

【同じお話】ふるさと中富のはなし「田原の味噌なめ地蔵」
【地区・地名】静川(下田原) 【ジャンル】神仏 

 蛇石  じゃいし
 竜となって天に上がる修行をしていた大蛇が、山から海へ出る途中に大石に圧されて死んだ。蛇の骨は蛇石と呼ばれ現在も残っている。(身延町誌)

【同じお話】ふるさとの身延第1集 延壽の里「蛇石の伝説」
【地区・地名】身延(清住) 【ジャンル】怪異 

鳥居の天狗面
十二天神社
 十二天神社の天狗面  じゅうにてんじんしゃのてんぐめん
 その昔、村人が富士川に仕掛けた籠に烏天狗の面が入っていたので取り出して下流に流したところ、翌朝また同じ籠の中に同じ面が入っていたため、十二天神社に納めた。昭和五十五年二月頃その天狗面が鳥居から消えてしまったが、十一月になって鳥居の前に箱に入った天狗面が置かれていた。(ふるさと身延第2集)

【同じお話】富士川谷物語「帰ってくる天狗面」 富士川流域を歩いて「天狗の面」
【地区・地名】大河内(下八木沢) 【ジャンル】神仏 

 勝負平の血洗池  しょうぶだいらのちあらいいけ
 勝坂(かんざか)の戦いで敗れた武士が、大炊平(おいだいら)地内石小山で一旗上げようと付近に隠れ住んだが、幾年か後、領内巡視に来た武士と一対一の勝負となりたちまち討たれてしまった。以来その場所を「勝負平」、勝った武士が刀や具足についた血を洗い落とした清水を「血洗池」と呼ぶようになった。(下部町誌)

【同じお話】富士川谷物語「落武者の最後」
【地区・地名】下部(大炊平) 【ジャンル】由来 

 尻なしたにし  しりなしたにし
 本国寺を訪れた日蓮聖人に老婆がそばを供したが、汁にたにしが入っていた。聖人が秘法でたにしを生かし境内の池に放ったのが「尻なしたにし」である。また、熱病がはやった際に、最蓮上人が日蓮聖人から授かった秘法で病をたにしに封じ込めたので、ここのたにしには尻がないともいう。(身延町誌)

【地区・地名】下山(下山) 【ジャンル】人物譚 【キーワード】日蓮聖人

 信玄公のかくし湯  しんげんこうのかくしゆ
 武田信玄が連戦中、多数の負傷者を出したにもかかわらず兵が次々出陣した。敵方が探索したところ、下部の温泉で傷がすぐ治るとわかり、これを信玄公の隠し湯といった。(下部町誌)

【地区・地名】下部(下部) 【ジャンル】人物譚 【キーワード】下部温泉 武田信玄

現在の白石権現
 信玄の洗濯石と白山権現  しんげんのせんたくいしとはくさんごんげん
 信玄の洗濯石は、崖の上にあった武田の烽火台の兵士が下りて来て洗濯をした場所だという。崖の登り口には白山権現(はくさんごんげん)があり、身延攻略の帰路歯痛をもよおした信玄が祈願して治癒したので、歯痛止めの神として拝まれた。(中富町誌)

【同じお話】中富の民話「権現さんの手洗石」 ふるさと中富のはなし「権現さんの手洗石」
【地区・地名】静川(寺沢) 【ジャンル】言い伝え 【キーワード】武田信玄

 菅の窪の神主様  すげのくぼのかんぬしさま
 菅の窪の神主が病にかかり、夢に大山祇命(おおやまつみのかみ)が現れた。神慮により全快したので、山の神へお礼参りに神袋まで登ったところ古い祠を発見し、毎日参詣した。後にここを奥宮とし、桑木山麓の大岩の下へ分霊し杜殿を建立した。(下部町誌)

【地区・地名】下部(清沢) 【ジャンル】神仏 

 醒悟園の本妙さん  せいごえんのほんみょうさん
 本妙庵の日臨上人に「富士川で船が覆没していると鳥が知らせている」と言われ、村人が行ってみると、破船して婦人が溺死していた。しぶしぶ良いごぼうを奉納した村人には、「けがれているからお返しする」と持ち帰らせた。上人が大崩で曼荼羅を書いて雨乞いをすると、たちまち雨が降った。(身延町誌)

【同じお話】ふるさと身延第1集「本妙様」 延壽の里「本妙様」
【地区・地名】身延(波木井) 【ジャンル】人物譚 

御神体の石
清子の神明神社
 清子のお神明さま  せいごのおしんめいさま
 清子の物持ちの老人が伊勢参りをした帰り、足の裏に何かが入り歩きにくいので見てみると小さい石が入っていた。それを捨てて歩き出すと、また石が入っていたので捨てたが、何度も繰り返すので石を持ち帰った。清子に帰ると石はだんだん大きくなったので、お堂を建て御神体として祀ったのが神明神社である。(ふるさと身延第1集)

【同じお話】富士川谷物語「まつられた石」
【地区・地名】豊岡(清子) 【ジャンル】神仏 

清子の八幡神社
清子の河原(『広報みのぶ』より)
 清子の河原の八幡さま  せいごのかわらのはちまんさま
 清子の河原は中山の中腹にあり、かつては一帯が広い沼だった。沼には主の大鰻がいて、夜になると峠を越えて相又の淵の鰻のところへ遊びに行っていたが、その主を獲って食べた人がいた。その人たちは皆死んでしまい、村の人々がその鰻を神様に祀ったのが清子の河原の八幡様である。(ふるさと身延第1集)

【地区・地名】豊岡(清子) 【ジャンル】神仏 

 清正公の座像  せいしょうこうのざぞう
 大塩の依田定八は細川公の家臣と親交があり、清正公の座像を要望したところ快諾を得たので、福岡に行き座像を背負って帰って来た。座像は座敷に安置したが晩年に薬王寺に納めた。しばらく本堂に安置されたが、後にあぐら窪の地に大きな堂を建てそこに移した。(中富町誌)

【同じお話】ふるさと中富のはなし
【地区・地名】大須成(大塩) 【ジャンル】言い伝え 

 瀬戸の観音  せとのかんのん
 武田信玄が三河遠征の際に雨やどりした森で観世音を拝み、その加護によって戦勝した。その如意輪観世音は、本栖(もとす)の赤坂にあったが瀬戸へ移った。台座に「本栖寺」とあり本栖の人々が返すよう要求し、瀬戸の人たちが台座の字を消そうと削ると、そこから血が出たという。(下部町誌)

【地区・地名】古関(瀬戸) 【ジャンル】神仏 【キーワード】武田信玄

身延山久遠寺総門
 総門のけやきと踊り場のいわれ  そうもんのけやきとおどりばのいわれ
 身延山の総門建立のための門野(かどの)の湯沢川奥から大欅を切り出したが、ほんの少しずつしか運ぶことができず、山の神様に御神酒を供え祈願した。すると滑るように進み始めたので村の人々は喜び、踊りを踊って山の神に感謝を捧げ、無事目的地に到着し総門が完成した。村人が踊った場所には「踊り場」の地名が伝わっている。(延壽の里)

【地区・地名】豊岡(門野) 【ジャンル】由来 【キーワード】身延山

 袖切り岩  そできりいわ
 和田峠が旧道の頃、峠の北坂に「袖切り岩」と呼ばれた岩があり、岩の付近で転ぶと必ず袖を着られるといわれた。(ふるさと身延第2集)

【地区・地名】大河内(和田) 【ジャンル】不思議 

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