身延の民話



 政親淵  まさちかぶち
 横手の政親さんは長塩の祭りに招かれた折、あまりの暑さに紙屋橋の淵に飛び込んだが、そのまま姿が消え下流の太郎石に死体となって漂着した。その淵には河童がいて人を引きずり込むと言われていた噂が事実となったので、「政親淵」と呼び誰も近寄らなくなった。(下部町誌)

【地区・地名】下部 【ジャンル】怪異 

 魔性の臼  ましょうのうす
 豆畝(まめうね)八幡社近くの大欅を久遠寺(くおんじ)造営のため身延山に寄進した折、残りの木で臼を作った。その臼で餅をつき歳神に鏡餅を供えると火災に見舞われ、翌年、翌々年も火災に遭った。歳神への供物を洗米にしたところ、火事はなくなり、以来豆畝一族は歳神への供物を洗米としている。(延壽の里)

【地区・地名】身延(梅平) 【ジャンル】自然 

 マナスのハナ  まなすのはな
 富士川と常葉川の合流地点は富士川水運の難所でマナスのハナと呼ばれ、中腹部に横穴が二つある。穴山氏が統治していた頃の鎌倉への抜け道ともいわれる。(ふるさと身延第2集)

【地区・地名】大河内(上八木沢) 【ジャンル】不思議 

 豆まき桜  まめまきざくら
 八幡神杜に行く途中に古木の桜があった。豆まき桜といい、西河内(かわうち)地方や鴨狩(かもがり)では「豆まき桜が咲いたら豆をまけ」と言って目安にしていた。この桜の切り口は八畳敷きもあり、職人が一週問がかりで切ったという。(下部町誌)

【地区・地名】久那土(道) 【ジャンル】自然 

不動滝と不動尊(『広報みのぶ』より)
 丸滝の不動滝  まるたきのふどうだき
 丸滝山のふもとにある不動滝の滝つぼには洞窟があり、龍神が蟠踞(ばんきょ)するので丸滝ともいった。かつて日蓮聖人が、この滝の巖に落ち葉をかき寄せて腰をおろし休息したといわれ、その落ち葉は聖人の遺徳により木の葉石となったという。(ふるさと身延第2集)

【地区・地名】大河内(丸滝) 【ジャンル】神仏 【キーワード】日蓮聖人

 御崎大明神の由来  みさきだいみょうじんのゆらい
 享保の頃、どこからか平須に上ってきた五人の六部が村の入口で次々に倒れた。人々に助けを求めたが誰も助けようとせず、五人は一晩苦しんで死んだ。数日後に熱病が発生し死者が日ごとに増えるので、六部のたたりと噂された。鎮守神を祀り盛大な祭りを行ったので、熱病は去り平和が戻った。(中富町誌)

【同じお話】ふるさと中富のはなし
【地区・地名】大須成(平須) 【ジャンル】神仏 

 水恋鳥  みずこいどり
 農家の老夫婦は麦や田植えの準備に忙しく、馬の世話もできずに餓死させてしまったので、大変悔いて手厚く葬った。毎年農繁期になると小さい鳥が来て、「ヒョロ、ヒョロ、ロー」と哀調を帯びた声でさえずりながら水を飲むという。村人は馬の霊が鳥になって水を飲みに来ると言い、水恋鳥と呼んでいる。(下部町誌)

【同じお話】富士川谷物語
【地区・地名】下部(岩欠) 【ジャンル】動物 

 嶺のお庚申様  みねのおこうじんさま
 嶺の真門の屋敷神のお庚申様は、願い事をした後で御神体を抱き上げると、効験がある時は軽く上がるが、ない時は重くなるという。ある晩、何者かが忍び込み御神体を背負い出したところ、村はずれまで来た時急に重くなり一歩も歩けなくなって道端に置いて逃げた。村はずれで光を放つ庚申様が発見されてもとのお堂へ安置されたという。(下部町誌)

【地区・地名】久那土(嶺) 【ジャンル】神仏 

 身延攻め  みのぶぜめ
 築城のための身延山移転の申し込みを断られ立腹した信玄は、身延山を攻め取るため飯富村から未明に早川を渡ろうとしたところ、大雨が降り増水し大木や大石が流れた。勝頼が先頭に立ち急流に飛び込んだが多くの死者が出た。信玄が自ら渡ろうとした時、身延山の杉林が甲冑に身を固めた大軍に埋められ、七面山の方角に「法敵信玄」と叫び声がし、白羽の矢を額に受け信玄は気絶した。翌年の同日、仏罪により古傷が悪化して死んだと伝えられる。(身延町誌)

【地区・地名】原(飯富) 【ジャンル】人物譚 【キーワード】武田信玄

 身延全山の姿  みのぶぜんざんのすがた
 身延山は山自体が日蓮聖人の姿だという。奥の院思親閣は頭で、三光堂は目を表す。一切経蔵と鬼子母神堂は両手に持つ笏と経巻、胸あたりの釈迦牟尼仏は釈尊の御心を奉帯するさま、膝上の平地に祖師堂などの本山。杉や松の常盤木は墨染めの衣、三光堂下から本山上までの斜めの紅葉樹は袈裟になぞらえられる。(身延町誌)

【地区・地名】身延(身延山) 【ジャンル】言い伝え 【キーワード】身延山

 妙見寺裏の金持ち  みょうけんじうらのかねもち
 妙見寺の裏に住んでいた金持ちには子どももなく、持てるだけの金を持って旅に出た。たくさん残った金は土の中に埋め、「朝日さす夕日輝く駒返し雀子おどる桃の木の下」と詠み門に貼ってあったので村人が探したが、未だ見つかっていないという。(身延町誌)

【地区・地名】下山(下山) 【ジャンル】言い伝え 【キーワード】歌や呪文・言葉の遊び

 妙法神由緒  みょうほうしんゆいしょ
 城岩山と呼ばれる切り立った岩場の上に社があり、妙法二神の黒色の仏像が安置されている。二神は、日蓮聖人の身延山入山おの頃より身延山中にいた天狗で人々を困らせていたが、聖人の高座石での説法で教化され妙太郎、法太郎の名を頂き、妙法両大善神として法華経を信仰する人たちを天狗の大いなる力で守護するようになったという。(ふるさと中富のはなし)

【地区・地名】大須成(久成) 【ジャンル】神仏 【キーワード】日蓮聖人 身延山

 昔の梅平と浮巣の森  むかしのうめだいらとうきすのもり
 梅平は昔、山崩れや川の氾濫で平地ができ、「埋め平」の名がついたという。大川除と呼ばれた堤防を築いた際、生きた白鳥を籠に入れ人柱の代わりに埋めたといわれ、出水の時の波音や森を揺らす風が白鳥の鳴き声に聞こえたので浮巣の森の名がついた。(ふるさと身延第1集)

【同じお話】延壽の里「梅平の地形と浮巣の森の伝説」
【地区・地名】身延(梅平) 【ジャンル】言い伝え 

 むけんの鐘  むけんのかね
 「むけん」という屋号の家の近くにある釣鐘は「むけんの鐘」と呼ばれ、富士川の洪水で危急の場合に鐘を打てば流れが変わり難を逃れられるが、鐘を打った人の家は滅ぶと言い伝えられていた。ある時、富士川の激流がこの地区に押し寄せた際に、ある一族の宗家の主人が地区を救おうと鐘を打ち続け念じたところ、濁流は治まり大衆は救われたが、この宗家は間もなく絶えてしまった。(中富の民話)

【同じお話】富士川谷物語 ふるさと中富のはなし
【地区・地名】静川(下田原) 【ジャンル】言い伝え 【キーワード】富士川・屏風岩

 むじなと犬  むじなといぬ
 建長寺の名僧が来るので犬をつないでおくようお触れが出た。僧は法永寺での昼食時、一人お堂に閉じこもったので、村人が覗くと四つんばいで食べていた。僧はその後つながれていない犬にかみ殺されたが、むじなの姿に変わっていた。(中富町誌)

【同じお話】ふるさと中富のはなし「建長寺様その一」
【地区・地名】大須成(大塩) 【ジャンル】動物 

 村の境  むらのさかい
 遅沢(おそざわ)と飯富(いいとみ)の村境を決めることになり、寅の刻に同時に村を出て行き会った場所を境とすることにした。飯富からは馬で、遅沢からは牛で向かうはずだったが、飯富方が寝過ごしたため遅沢方が飯富方の屋敷まで着いてしまった。飯富方が「ここは屋敷だから少し戻ってくれ」と頼み、遅沢方は氏神様前まで戻ったが、「村の氏神様だからもう少し戻ってくれ」と頼んだのでさらに戻り、村の境が決まったという。(中富の民話)

【同じお話】富士川谷物語「飯富・遅沢の村境争い」 ふるさと中富のはなし「飯富・遅沢の村境争い」 富士川流域を歩いて「牛と馬」
【地区・地名】原(飯富) 曙(遅沢) 【ジャンル】笑い話 

 村を救ったお稲荷さん  むらをすくったおいなりさん
 昔、新宿(しんしゅく)の辺りで原因不明の病気が流行し、旅の僧が村を通りかかると老婆が祈る声がした。孫が病気と聞き僧はお祈りをしその家に泊まったが、若者が二人苦しげに呼ぶ夢を見た。僧が裏山に登ると大きな洞穴があり二匹の大狐が苦しそうに横たわっていたので手厚く介抱し、木の葉を集め温かくしてやった。狐が「お礼に願い事を叶える」と言うので「村の人々を救って欲しい」と答えると狐は姿を消した。翌朝僧は老婆に「病人は近々治る」と告げ立ち去り、数日後には村中の病人が元気になった。村人が裏山に行くと狐の姿はなく、木の葉が積まれた場所に小さな祠を作って村の守り神とした。(ふるさと身延第1集)

【同じお話】延壽の里
【地区・地名】身延(身延) 【ジャンル】神仏 

 名刀「蛇丸」  めいとうへびまる
 湯之奥(ゆのおく)の旧家に伝わる無銘の名刀を持って船荷を受け取りに行く途中、腰の刀がないのに気付いた。村人が「河原にいた蛇を、石を投げて殺した」と言う場所へ行くと探していた刀があったが、大きな歯こぼれができていた。村中の噂になり刀は「蛇丸」と呼ばれるようになった。(下部町誌)

【地区・地名】下部 【ジャンル】不思議 

 桃ヶ窪  ももがくぼ
 下部(しもべ)の湯へ来た領主が東の山の桃林へ行きたいと言った。村人が背負子へ箱を荷造って領主を腰かけさせ、急な山道を3kmも登った。領主は村人に褒美として目通りの山全部を与え、この地を桃ヶ窪と名づけた。(下部町誌)

【同じお話】富士川谷物語「桃ヶ窪村のおこり」
【地区・地名】下部(波高島) 【ジャンル】由来 【キーワード】下部温泉

 問答堀  もんどぼり
 広禅院を訪れようとした旅僧に、檀家の者がいきなり問答をしかけた。このような知者の檀家がいる寺の住職は名僧に違いないと、逃げ帰ろうとした僧が門前の堀にはまったので、僧が問答堀と名づけた。(中富町誌)

【同じお話】中富の民話「問答堀の由来」 ふるさと中富のはなし「問答堀の由来」
【地区・地名】西嶋(西嶋) 【ジャンル】由来 

もどる